テーマ:顕正会について(238)
カテゴリ:御遺命の戒壇
正本堂が撤去され、顕正会が言うところの「御遺命守護」が完結すると、顕正会の存在意義は失われました。
そして、「御遺命守護完結」の後の顕正会の理論的支柱は、国立戒壇となりました。 しかし、ほとんどの顕正会員は「顕正会の主張する国立戒壇」が、誤りであることに全く気が付いていません。 そこで、「顕正会の主張する国立戒壇」が、なぜ誤りであるかを述べたいと思います。 (1)国柱会の田中智学が創唱した「国立戒壇」 日蓮大聖人の御書に「国立戒壇」という名称がないのは、顕正会員でも知っているでしょう。 では、「国立戒壇」という名称は、どのようにして生まれたのでしょうか? 実は、「国立戒壇」という名称を創唱し、初めて使用したのは、国柱会の田中智学です。 田中智学は、日蓮正宗の教義である御遺命の戒壇に影響を受け、明治35年の『本化妙宗式目』において、「国立戒壇」という名称を初めて使用しました。 田中智学は国粋主義者で、田中の唱える「国立戒壇」という名称は、明治憲法下の天皇主権の国家体制を背景とし、国粋主義者の共感を得て、広く用いられるようになりました。 宗門では世間に弘まったこの「国立戒壇」という名称を、あえて借りて御遺命の戒壇の名称としました。 御歴代上人で「国立戒壇」という名称を用いられたのは、日亨上人・日昇上人・日淳上人・日達上人の四上人のみで、この四上人以外で「国立戒壇」という名称を使用された方はおられません。 第58世日柱上人以前の御歴代上人の御著述には、「国立戒壇」という名称さえ存在しないのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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