テーマ:顕正会について(238)
カテゴリ:御遺命の戒壇
「本門寺改称の陰謀」とは、日蓮正宗が富士大石寺の開創七百年(平成2年)を機に大石寺を本門寺と改称して、広宣流布達成を宣言する陰謀があったというものです。
しかし、この「本門寺改称の陰謀」とやらは顕正会と正信会が騒いでいたもので、宗門としては前々から「本門寺改称の陰謀」については否定していたのです。 その事実を裏付ける発言を、なんと浅井会長自身がしているのです。 浅井会長は平成2年7月8日の「第二十五回総会」において、次のように発言しています。 「阿部管長は、宗門僧侶の質問に答えて昨年五月、そしてまた本年三月に、“本門寺改称などはない”旨の、発言をしております。 もしその通りなら、大いに結構であります。 しかし、阿部管長の言葉だけは、全く信じられない。」 (『なぜ学会員は功徳を失ったか』223ページ) この発言で浅井会長は自ら、宗門が「本門寺改称の陰謀」を一年以上前から二度にわたって否定していることを認めているのです。 さらにこの当時、顕正会の本部職員であった渡辺雄二氏は、「本門寺改称の陰謀」について次のように述べています。 「平成二年当時、顕正会と正信会が内々に手を結んで『本門寺改称反対キャンペーン』を行ないました。 これは、『藤田実』というペンネームを持つ「上原成宏」(故人)という反創価学会のジャーナリストがパイプ役になって、正信会機関紙『継命』に掲載した写真の原紙を顕正会へ提供してもらい、また、当時の正信会議長・渡辺広済と浅井の長男・克衛(今は不祥事により失脚)が綿密に連絡を取り合い、『大石寺開創七百年を機に、大石寺を本門寺と改称して広宣流布達成を宣言する計画があるので、これを阻止しなければいけない』という名目で起こした運動でした。 後で知ったことですが、実際には、御宗門として公の席で、この本門寺改称計画という噂話について『(そのような計画は)断じてありえません』と否定され、そのことは当時の『大日蓮』にも掲載されております。 顕正会本部では『大日蓮』を購読していましたし、私も閲覧できる立場にありましたので、当時の現場責任者である克衛に『宗門は明確に否定していますよ』といったところ、修羅のような形相で『うるせぇ!』と叱責されました。 いま思えば、対外的に敵を作って組織統制をはかる顕正会にとって、この運動は組織の引き締めが目的であり、本当はどうでもよかったのではないかと思います。」 (『誰にでもわかる顕正会の誤り』88~89ページ) このように、顕正会は宗門が「本門寺改称の陰謀」を前々から否定していたことは、最初から百も承知だったのです。 それなのに、浅井会長は平成2年4月に『正本堂の誑惑を破し懺悔精算を求む』という本を日顕上人に送り、この本でもって日顕上人の「肺腑をえぐり心に怖畏を生ぜしめた」と宣伝しているのです。 以上、これが「本門寺改称の陰謀」の真相なのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年10月12日 12時36分06秒
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