テーマ:顕正会について(238)
カテゴリ:御遺命の戒壇
※この記事は、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―4』で掲載した私の返事に対する旭川ひろしさんのブログ記事への破折です。
旭川さんへ 返事を書きましたが、今回の旭川さんのお返事は酷い内容ですね…。 (1)現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていないについて 旭川さん 「国民の総意は必ず国会で反映されるものと思われます そのような時代になれば 日蓮正宗に入信している国会議員も多くいるのではないでしょうか?」 「たられば」の話を今しても仕方ないです。 (1)については、御遺命の戒壇についてではなく、もはや憲法改正談義になっています。 前にも言ったように、(1)については今後はコメントや返事は不要です。 (3)日蓮正宗は創価学会の圧力によって御遺命の戒壇の定義を変更せざるを得なかったのではないか?について そもそも、正本堂の意義について日達上人は、昭和47年4月の訓諭において、 「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。 即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。 但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」 (『大日蓮 昭和47年6月号』2頁) と御指南されました。 つまり、日達上人は「訓諭」において、 「現時にあっては、いまだ謗法の徒多きが故に、広宣流布の達成には至っていない。したがって現時点における正本堂は、未来の広宣流布の暁に本門戒壇たることが期待される堂宇である」 と御指南されたのであり、正本堂は「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む」とはいえ、当時は未だ御遺命の戒壇そのものではないことを明らかにされたのです。 日達上人は、この訓諭において正本堂の意義を確定されたのです。 そして、日達上人の正本堂に関する最終的な御指南は、どこまでもこの「訓諭」に尽きるのですから、昭和47年以前に誰がどんなことを言ったとしても、トップである日達上人が「訓諭」で訂正遊ばされているのです。 この件については、私のブログの『隠された「正本堂訓諭」の全文』でも詳しく取り上げています。 旭川さん 「ありの金吾様が「日達上人は正本堂を御遺命の戒壇と断定していない」との主張に対して 分かりやすい日顕上人の指導を載せておきます (66p~67p) 創価学会は日蓮正宗に正本堂を御遺命の戒壇と断定するよう強要してきた しかし、この問題は間に浅井会長が入り 創価学会に抗議をしたと吐露されております そして、創価学会は浅井会長の抗議内容を受け入れ 昭和47年10月 泉覚学会理事長は『聖教新聞』に 今まで正本堂は御遺命の戒壇だと断定していたけど やっぱり御遺命の戒壇ではないですと謝罪の文章を発表した と吐露されております 日顕上人は日達上人が正本堂を御遺命の戒壇と断定しなかったのではなく あくまでも浅井会長の抗議があったから 日蓮正宗は正本堂を御遺命の戒壇と断定させられずに 済んだと吐露されております そして日顕上人は、この浅井会長の抗議は命がけだったと 浅井会長に感謝の言葉を述べております」 そもそも、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』(平成16年8月の日顕上人の御講義)の66~67頁には、下記の文言等はありませんでしたよ? 「浅井会長が入り創価学会に抗議をした」 「創価学会は浅井会長の抗議内容を受け入れ」 「あくまでも浅井会長の抗議があったから 日蓮正宗は正本堂を御遺命の戒壇と断定させられずに済んだ」 「日顕上人は、この浅井会長の抗議は命がけだったと浅井会長に感謝の言葉を述べております」 顕正会の書籍を引用してませんか? ていうか、どんだけ浅井センセー推しなんですか(爆笑) ちなみに、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の67頁には次のような記述がありました。 「国立戒壇とか国教というようなことは御書に全くない」 旭川さん 「日顕上人は当時創価学会に対して 日蓮正宗の権限も通用しなかったとの趣旨を吐露されています」 では、なぜ創価学会は日蓮正宗に破門されたのですか? 日蓮正宗の権限が痛いほど通用してますが? 旭川さん 「なぜ浅井会長に権限がないのに浅井会長の主張が通ったかについては (84p)日顕上人の話の通り素直に 創価学会が妙信講の主張を納得して受け入れたと解釈するべき」 『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の84頁には、そんな記述はありませんでした。 ただし、85頁には、 「池田大作は浅井の抗議や色々な問題ががあって、結局、正本堂が御遺命の戒壇であると正面を切ってはっきりとは言えなくなったのです。」 とあります。 そして、「浅井の抗議や【色々な問題】があって」とあるので、浅井の抗議だけで池田大作は正本堂が御遺命の戒壇であると言えなくなったわけではないことが分かりますね。 旭川さん 「妙信講が正本堂の意義に賛同していたのは昭和40年から昭和44年までの間で 昭和45年以降は正本堂の意義に反対しているんですよね?」 私の前回の返事、ちゃんと読んでますか? 顕正会は昭和45年9月11日の時点では、正本堂が将来的に御遺命の戒壇となり得ることを認めています。 また、昭和48年に妙信講は正本堂にて御開扉を願い出ていますので、この時点でも正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことを認めていることになります。 「御遷座の翌年五月、妙信講は久々の御登山を総本山に願い出た。」 (『日蓮大聖人の仏法 改訂版』255ページ) 旭川さん 「創価学会が「正本堂」を御遺命の戒壇にする為に御遺命の戒壇の定義が変更され (87P) 更に現在においても、御遺命の戒壇の定義がそのままになっているのは知っているのでしょうか?」 これは正本堂の完成奉告大法要後に、創価学会員に対して大聖人の御遺命が達成されたと池田大作が側近に言わせたことを指していると思われます。 しかし、昭和47年10月3日付の聖教新聞で創価学会は理事長が「正本堂落慶の時を迎えて」という公式文書を掲載し、正本堂は直ちには御遺命の戒壇に当たらない旨を発表しました。 よって、御遺命の戒壇の定義が変更されたとは言えません。 「現在においても、御遺命の戒壇の定義がそのままになっている」とありますが、正本堂自体がすでに撤去されています。 旭川さん 「日顕上人は(94p)に 当時の日達上人の正本堂の意義付けに関して間違った流れと説明されており」 『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の94頁では、単に「あのような間違った流れ」と記されているだけで、日達上人の正本堂の意義付けを指しているかどうかは分かりません。 旭川さん 「(59p) 日顕上人は日達上人の指導のもと 正本堂の意義付けの為に間違った2冊の本を書かされた と吐露されております」 こちらも『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の59~60頁では、「間違った2冊の本を書かされた」とは記されていません。 実際には、 「本書の趣旨からすれば行き過ぎが何点かあったようにも、今となっては思うのです。」 と記されているだけです。 姑息な印象操作は止めていただきたいと思います。 旭川さん 「御相承を知らないこと、仏法の全てを知らないことは私も、ありの金吾様も同じではないかと思っております」 では、旭川さんと私の違いを言いましょうか。 旭川さんは御相承の内容を知らないのに、顕正会と同じように御遺命の戒壇について自分勝手な誤った解釈で論じています。 一方、私は旭川さんや顕正会の間違った国立戒壇論を、血脈を相承されている御法主上人の御指南に基づいて破折しているだけです。 旭川さん 「日顕上人が言われる御遺命の戒壇論を学び」 旭川さんは、日顕上人の御指南を自分の都合のいいように利用しているだけです。 つまりは「悪用」しているだけです。 (2)日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えは無いについて 旭川さんが「どの部分が屁理屈なのですか?」と言うので、旭川さんの4月18日のブログから引用しますね。 「平成17年に発行された日蓮正宗宗務院監修の『顕正会会長 浅井昭衛の〝最後に申すべき事〟を砕破す』の次の一節を読んで下さい。 ↑ 読みました、確かに平成17年の時点では「国立」の考えを否定していますね しかしながら 私が参考書籍にしているのは 【近現代における戒壇問題の経緯と真義】 (平成16年に書かれたものを再治して新たに令和元年に日蓮正宗が発行されたものです) ありの金吾様が提示された参考資料は 今から17年前のものですよね その17年間の間のことをいろいろ考慮して日蓮正宗として修正を入れて 【近現代における戒壇問題の経緯と真義】として発行したのではないでしょうか つまり 日蓮正宗としての再周知だと私は思っております 17年前の参考資料ではなく 日蓮正宗が「国立」を否定している最新の参考資料を提示して頂けないでしょうか? 議論はそれからだと思いますがどうでしょうか?」 こんな屁理屈を言っている暇があったら、日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがあることを文証を用いて証明するべきですよね(苦笑) 旭川さん 「(61p) 国立戒壇を建てるには憲法を改正すればいいとのことだが 現実問題として今日の日本乃至、世界の実情を見るに簡単に憲法を改正することはできない (31p) 国教にすることは、今の憲法下では絶対にできない (32p) 戦後の日本国憲法では「国立戒壇」はできない ただ憲法が改正されれば話は別とのこと (60p) 現在の日本国憲法では法律で定められた権限がないから 今の憲法下においては「国立戒壇」は絶対に無理とのこと (107p) 「国立戒壇」にこだわるから 憲法改正が必要になってしまうとのこと ここに道理としては憲法上、国立戒壇が間違っていることと 宗門としては教義として「国立」の考えがあることを書かれておりますがどうでしょうか?」 旭川さんの引用した箇所をどう読んでも、「宗門としては教義として「国立」の考えがあること」が書かれているようには拝せません。 やはりまずは、日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがあることを文証で証明するべきですね。 それから、旭川さんは、 「(32p) 戦後の日本国憲法では「国立戒壇」はできない ただ憲法が改正されれば話は別とのこと」 と書いていますね。 しかし、実際には『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の32頁では次のようになっています。 「また実際に、この憲法が出来た以上は、天皇の力ということでは絶対にできない。 それも憲法が改正されて昔のようになれば別だけれども、現在はそういう次第であります。」 旭川さんは、『正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む』の191頁を引用した上で、 「私はネットで購入できる顕正会の書籍は全て読んでおりますが どの書籍を読んでも御遺命の戒壇に関して強制との趣旨は書いておりません」 と書いていますね。 まさか、『正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む』を引用してくるとは思いませんでしたよ。 しかも、旭川さんはネットで購入できる顕正会の書籍は全て読んでいるとのこと。 これで誰もが旭川さんを顕正会関係者だと思うでしょう。 旭川さんは、ご自身のブログの『2022年4月27日 ありの金吾様への御返事』の中で次のように書いていますね。 「日顕上人は(26P)で(尺がないので要点まとめます) 要するに田中智学のいっている国立戒壇とは、天皇が強制的に、日蓮大聖人の仏法に帰依しなさいと命令すれば日本は日蓮大聖人の仏法を国教にせざるを得ない 要するに信仰の強制との論調だと説明されています しかしながら そもそも この田中智学の国立戒壇論自体が顕正会の国立戒壇論とは全然違うんですがどうでしょうか? (顕正会では強制ではないと言っておりますが)」 実際には『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の25~26頁で、日顕上人は次のように仰っているのです。 「明治十四年四月に田中智学が国柱会の元となる結社を作ったのですが、これが日蓮宗から出て、在家仏教的な形から大聖人様の仏法の一分を宣揚しようとしたわけです。 そこで同三十六年に講義をした「本化妙宗式目」というのがあり、そのなかに「宗旨三秘」を説くなかの「第六科 戒壇の事理」という内容があるのです。 その第一項が「即是道場理壇」で、第二項には「勅命国立事壇」というのがあって、理壇と事壇、いわゆる事壇のほうは「事の戒法」と言われるところの『三大秘法抄』の意義を取ったのでしょう。 それが勅命であり、国立戒壇だということを初めて言ったのです。 そして、そこには事壇の出来る条件として、まず大詔が渙発されるというのです。 天皇の勅命が発せられると一国が同帰になる。 つまり、ありとあらゆる宗旨がいっぱいあるけれども、この意見からするならば、一国がことごとく妙法に帰する。 しかも政教一致であると標榜しておるのであります。 さらに国家の統一を中心として、その一大勢力を作って世界の思想・宗教を妙法化せしめるということを言っておるのです。」 (『近現代における戒壇問題の経緯と真義』25~26頁) 日顕上人は実際には「強制」とは一言も仰っていません。 印象操作は止めましょう(笑) また、顕正会の教義を知っている人なら気付いたと思いますが、顕正会の国立戒壇論は田中智学の国立戒壇論と驚くほど「うり二つ」です。 さらに興味深いことに26頁では、 「明治より前には国が設立し維持管理するという着想はなかったと思われます。 そういう意味から、国柱会が初めて「国立戒壇」という語を言い出したわけであります。」 との御指南もあるのです。 以前にも紹介したように、日顕上人は現在でも「顕正会の主張する国立戒壇」は間違いと考えられていたことが、次のように明らかなのです。 「結局、道理から言っても「国立戒壇」は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて「国立戒壇が間違いだ」と言ったことは正しかったと思っております。」 (『近現代における戒壇問題の経緯と真義』89頁) (『大日蓮 平成16年12月号』48頁) しかも、その理由は、 「田中智学とうり二つの浅井の考え方を破り」 (『近現代における戒壇問題の経緯と真義』59頁) (『大日蓮 平成16年11月号』54頁) と述べられているように、「顕正会の主張する国立戒壇」が国柱会の田中智学の「国立戒壇論」に酷似しているからなのです。 そして、日顕上人は『国立戒壇論の誤りについて』のなかで、田中智学の「国立戒壇論」は国家中心、国家対象であり、日蓮大聖人の仏法を曲解したものとご指摘されています。 つまり、日蓮正宗は国家中心の「顕正会の国立戒壇論」を否定しているのです。 旭川さん 「(107p) 日顕上人は『一期弘法抄』の「国主此の法を立てらるれば」 の解釈を憲法を改正しないのなら「国主立」との名称をある程度言ってもよいと言われております 反対に憲法を改正するのなら「国立」の考えがあると本書で何度も説明されております 日顕上人は主観で説明されている訳ではありません 『一期弘法抄』の御書の解釈を根拠にして説明されておられますがどうでしょうか?」 では、まず『近現代における戒壇問題の経緯と真義』の106~108頁では、どのように記されているか拝見してみましょう! 「そして、その御遺命の戒壇とは、すなわち本門寺の戒壇である。 さらに本門寺の戒壇ということについて、浅井たちは「国立戒壇」と言っているけれども、御遺命という上からの一つの考え方として「国主立戒壇」という呼称は、意義を論ずるときに、ある程度言ってもよいのではなかろうかと思うのです。 なぜならば、大聖人様の『一期弘法抄』に、 「国主此の法を立てらるれば」(御書 一六七五ページ) とありますが、国主が立てるというお言葉は、そのものまさに「国主立」でしょう。 国主立とは、『一期弘法抄』の御文のそのものすばりなのであります。 また同時に、その内容を考えてみたとき、今は主権在民だから国主は国民としたならば、こういう主旨のことは日達上人も仰せになっているし、学会も国立戒壇に対する意味において色々と言ってはいたわけです。 だから国主が国民であるならば、国民が総意において戒壇を建立するということになり、国民の総意でもって造るのだから、そういう時は憲法改正も何もなく行われることもありうるでしょう。 ところが、国立戒壇ということにこだわるから、あくまで国が造るということになり、国が造るとなると直ちに国の法律に抵触するから、どうしても憲法改正ということを言わなければならないような意味が出て、事実、浅井もそのように言っているわけです。 だから国主立、いわゆる人格的な意味において国民全体の総意で行うということであるならば、憲法はどうであろうと、みんながその気持ちをもって、あらゆる面からの協力によって造ればよいことになります。 要は、正法広布の御遺命を拝して、倦まず弛まず広布への精進を尽くすことが肝要であります。」 (『近現代における戒壇問題の経緯と真義』106~108頁) 実際に日顕上人の御文を拝してみてどうでしょうか? 旭川さんは、 「 反対に憲法を改正するのなら「国立」の考えがあると本書で何度も説明されております」 と書いていますが、『近現代における戒壇問題の経緯と真義』(平成16年8月の日顕上人の御講義)を読むと、むしろ日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがないことが分かります。 日蓮大聖人は『聖愚問答抄』において、 「経文に明らかならんを用いよ、文証無からんをば捨てよ」 (『平成新編御書』389ページ) と文証の重要性を説かれ、文証の無いものを用いてはいけないと示されています。 何よりもまずは、日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがあることを文証を用いて証明するべきではないでしょうか? よって、(2)についても、文証が提示できるまでコメントや返事は不要です。 それでは、以上をもって返事といたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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