夕べ、タイガー・アンド・バニーを見返しながらコワイこと考えていた。
タイガー・アンド・バニーの20話と21話では、大規模な記憶と情報の消去と改竄によって故意に冤罪を作り出すというストーリーが展開されている。過去の出来事が「無かった事に」なり、新たな記憶が植え付けられるというものだ。劇中で、「HERO TVと鏑木T虎徹の関係を示す情報のすべてをネット上から消去しました」というセリフが出てくる。そして超能力者によって記憶を改竄された者たち以外の市民も改竄後の情報に基づく行動をしてしまう。実際にこんな事が出来る訳ではないが、現在でもそれに近い事を行なうのは不可能ではない様に思えるのだ。 最近のiCloudのCMを見ると、出先の携帯で撮った写真が自動的にクラウド(ネットワーク上の巨大なサーバ群)を経由して自宅のPCに転送されたり、携帯でデータを修正するとやはりクラウド経由でタブレットの情報も更新されていたりする。書籍やメディアは全て著作権保護されたデータで提供され、クラウドに保存されたものに多くの端末からアクセスする事で個々が所有している状態を作り出す。かつてのサーバとワークステーションの関係に似たものがいつの間にか全ての情報端末の標準になって行く。 コンピュータのOSやアプリケーションは正常で快適な性能を維持するために常に自動アップデートされるようになっている。ソフトウエアにはバグがつきものだからだ。出版物も同様で誤植のない書物などあり得ないと言っていい。当然の事だが、電子出版物も人が書いて編集している限り誤植がつきもの。そして版を重ねるたびに修正されて行くはずなのだ。ソフトウエア的な立場でそれを考えると、先月購入した電子書籍には致命的な誤植があったが、昨日購入したデータでは既に直されているということが起こった場合、バグのあるデータは無料でアップデートされるべきだと考えるはずだ。これが印刷物の場合なら全て回収返本という事態になり出版社は多額の負債を抱える事になってしまう。しかし電子書籍のデータなら、販売済みのものに関しても自動アップデートで内容を訂正する事が出来てしまうのだ。これによって資源も無駄にならないし、出版社も被害を最小限にとどめる事が出来る。しかも、これから主流になろうという電子出版物のデータは端末の外部にコピーして保存する事が出来ない。さらにケータイのオンラインゲームのように端末内に一切のデータを持たず、「サーバ上の出版物を読む事が出来る権利」だけを端末ごとに発行する事も可能だ。これによって、容量の小さな端末でも擬似的に無限の情報を持つ事が出来る。 そうなると、全ての文字情報はサーバの中で一元管理され、それが逐一アップデートされているとするなら、まずい部分は後から消して無かった事にするという作業が可能になるのではないかという事だ。 最近新聞をにぎわせている政府関係のサーバへの不正アクセス、メールやWWWを経由してのアクセス権乗っ取り、気付かないうちに仕掛けられるバックドアなどは、電子的保存がされている全てのデータに対する脅威であると考えるべきではないだろうか。これらが組織的、国家的な作為でないと証明できるものは全くない。 あと100年もすれば個人が物理的な記録メディアを一切持たない世界が出現するだろう。それは必ずしも地球上ではなくたとえば月や火星への移住など、重量の関係で持ち込めるものが厳しく制限される植民地でだ。新聞もテレビも図書館も兼ねる携帯情報端末があれば済む様な生活環境に於いて、過去の事実の改竄は意外と簡単な事なのかもしれない。そして個人そのものの存在すらたやすく…。