|
|
|
|
| +HOME +Diary +Profile +Auction +BBS +Bookmarks +Shopping List |
|
Welcome to AZU WORLD since april20,2002. Thanks for coming!
Now I live in OKINAWA! since Jan.9,2009 from Tokyo. ≫About AZU AZUは北欧の古代ルーン文字の中のひとつで宇宙・言葉・メッセージ・全能の神オーディンを表す 沖縄・豊見城市豊崎で鍼灸師のだんなさんと一緒に、心とからだのセラピーサロンをしています ≫トータルヒーリングスペースRuach[ルーア]沖縄 Ruachはヘブライ語で、風・息吹・生命力・創造・神性・霊(スピリット)を表す 人間の幸せと内面の探求に取り組む方、本気で変わりたい方へ セッションをご用意してお待ちしております ≫明日のご予約情報 △ヒプノセラピー(催眠療法)▽ 年齢退行(インナーチャイルドワーク)・前世療法(過去世ワーク)・ハイヤーセルフワーク・誘導瞑想 △スピリチュアルカウンセリング▽ スピリチュアルを軸にした観点から気づきを促すカウンセリングと ヒプノセラピー(催眠療法)・エネルギーヒーリングを組み合わせたトータルヒーリングセッション △ヒーリング・アチューメント(対面・遠隔)▽ 臼井レイキ・クンダリーニレイキ・ライタリアンレイキ・Four ArchAngels Healing ![]() 詳しくはこちらへ≫トータルヒーリングスペース Ruach[ルーア]沖縄 *お申し込みはお問い合わせ* ruach@live.jp *携帯サイト* ![]() http://katy.jp/ruach/ 沖縄県南部方面で在宅・訪問鍼灸マッサージをお探しの方へ ≫Ruach[ルーア]沖縄 訪問鍼灸サービスセンター *Ruachは2009年1月9日より東京都目黒区から沖縄県糸満市に、 2009年12月1日に糸満市から豊見城市豊崎に移転いたしました* ![]() ![]() AZU WORLD [全735件]
「こんなよくない気分でいたら、よくないものを引き寄せてしまうんじゃないでしょうか」 と心配して、 一目散にもやもやを消したいとあせったり、 ひどく心配してその心配によってパニックのような状態になっている人がいます。 これは世の中にスピリチュアルの原理を細分化してパッケージングしたような ビジネスや情報が蔓延している弊害とも言えると思っています。 心は一定ではありえません。 それと同時にこの世の一切は一定ではありえません。 常に移り変わり、変化しています。 これが物理次元の宇宙の法則です。 お釈迦さまも諸行無常とおっしゃているように。 心の表面が波立つとき その波はもっと深いところに潜む岩に 潮の自然な流れがぶつかって起こるようなもの。 ですから波が起こったからといって 波だけを止めようと頑張っても無理です。 大波が来た時に限って頑張って泳ごうとするのもいい案ではありません。 進まないし消耗するしどこへ進んでいいか、進んでいるのかどうか、わからなくなります。 それから波が来た時に 「この波を作った原因はなんだろう」と一生懸命考えるのもおかしな行動です。 そもそも波に揺さぶられ巻き込まれているので 客観的に広い視野と全体性を保って理解することはとても難しいのです。 でも多くの人は、波が来るとこの中のどれかあるいは全部を実行に移すものです。 水面下にゴツゴツした凹凸の激しい岩があれば 表面の波立ちも荒くなります。 この岩は潜在意識の中にある今世の幼少期や前世で作った記憶です。 私たちはたとえたまたま大波に呑まれていなくても ゴツゴツした岩を誰もが水面下に潜ませています。 そしてさまざま出来事や出会い、物やお金や仕事や人間関係を引き寄せている原因は この岩の在りようです。 この岩の在りようによって私たちは真実を目隠しされたり エネルギーの流れを妨げられたり 愛を感じなくされたりして 本来の自己を信頼できない状態になっています。 つまり真実が見えて エネルギーがあるがままに流れ 愛を感じることができると 私たちは本来の自己を信頼でき その状態は私たちを 安心で、真の幸せな状態でいさせてくれるということです。 私は長年の探求から 表面の波立ち自体にはとらわれる必要がないということをわかりました。 波立つ海の表面にとらわれず しばらく波に身を任せ、 それに慣れたら海に少し潜ってみるのです。 そのことをまず多くの人は恐れます。 表面の波がこんなにいやな感じなのだから この海水はいかに汚れていておぞましいだろう、 潜ってみるなんてとんでもない、と。 でも違うのです。 この海水は全てひとつの海の水です。 あなたが恐いのは、波の荒立ちです。 少し潜るとそこは海面よりずっと穏やかで広大な世界が広がっています。 実際の海と同じです。 見下ろすと岩が見えます。 近づいていって触れてみます。 ぽろっとすぐに崩れて砂になっている部分もたくさんあります。 これが、瞑想でありヒプノセラピーでありヒーリングです。 潜在意識の浄化とかブロック解除と呼ばれる物のすべてです。 古い記憶を解体して 固まりをほぐし、元の細かい砂粒に戻していきます。 瞑想は海面から海中に潜ることです。 内観は海の中にある景色を構成しているものの成り立ちや その動きや働きを見ていくことです。 高次元の波動や「気づき」によって岩を解体し、 さらに奥深くへと早いスピードで潜れるようナビゲートするのが ヒプノセラピーや高次元の波動のヒーリングです。 でも、その大きな浄化と癒しの根源的なパワーは、 全てその海底の奥深くからやってきます。 岩を解体するにしたがってその世界はぐっと見通しがよくなり 安全で信頼できる世界だという実感がわきます。 私たちはその世界の美しさや満ち溢れる神秘の生命力に惹かれ その奥へと旅したくなるのです。 海底からの光はますます強くなり あなたを強力に引き寄せて あなたはとうとうその地底に足を降ろします。 そこがあなたのホームであり、立っているのが本当のあなたです。 そしてこの海水のすべてが愛だったのだと気づきます。 多くの人が 「人生とは波乗りであり航海である」と感じています。 荒波をいかにうまく渉って、より良いであろう向こう岸を目指しています。 波に乗れない人は転覆して負け組みの人生や絶望や滅亡を体験すると。 だからみんな波が恐いのです。 でも、幸せは波の向こう岸にはありません。 幸せとはこの大海の底に広大無辺に横たわる真実の大地に降り立つことです。 転覆してみて潜ってみることに気づく人もいれば 波乗りを何度もクリアし、向こう岸の新大陸に何度も降り立つうちに どの大地にも平安や真の信頼や愛という 真の幸せに欠かせないものが何一つ見つからないことに気づく人もいます。 ひとは誰も幸せがなんなのかわかないまま それを見つける旅をします。 いづれは地底からやってくる真のパワーがあなたを見つけるでしょう。 でもできたらこの人生を ホームで、真のわたしとして過ごしたいものだと思うのです。
あまりに良いお天気なので 美ゅらSUNビーチを歩いてきました。 ![]() ![]() ![]() 展望台で自己ヒーリングと家族へのヒーリング。 いやおう無くプラーナがみっちみちになります。 地球は怒ってないですよ。 マザーアースはおおらかな魂です。 私たちは赦されているのですが 多くの人は自分をなかなか赦すことができません。 「内なる神とひとつになる許可を自分に与える。」 今日も感謝とともに。
昨日は劇場版テンペストを観てきました。 映画館はアバター以来。 テンペストってシェークスピアでしょ、なんで仲間さんが主演なんだろ? と言うほど何も知らずに観ました。 ぶつぎれ、こまぎれみたいな演出や ぎりぎりセーフなところや、アウトなところも多々ありましたが ところどころのいいセリフや、沖縄の文化や歴史への興味共感、 一部のいい演技などに救われて楽しめました。 終わってみたら、脚本が大森寿美男とあり、そうだったのか、と思いました。 彼とは劇団300(さんじゅうまる)の「1の1の6」という芝居の公演で 役者として一緒に出ていて 3ヶ月という長丁場で最後は山形公演まで行って その後もしばらくとても仲良しだった記憶があります。 大所帯の中で、当時仲良しクループだったのが 大森くん(もりもり)と後にテツandトモでブレイクしたトモと 多分今でもショービジネス界で活躍している成瀬海彦(なるなる)でした。 トモなんて確か19歳だったと思います。 大学生で、優しくていい子で、山形なまりで、詩吟がうまくて、あほでかわいかった。 宇梶(剛士)さんもご一緒だったのですが、宇梶さんをすごくしたっていましたね。 宇梶さんはものすごくいい人で私も大好きでした。 私は彼を確か「ボス」とか呼んでいました。 テレビで拝見するとよくわからないのですが どまっすぐでスケールが大きく純粋な方だったと感じました。 旅中はよく、宇梶さんにマッサージをお願いされました。 「あなたのはマッサージなんていうちゃちなものとは違う。 頼む、俺の腰を何とかしてくれ」とか言われて。 当時からヒーリングのできる手だったようですね、私。 なるなるは同じ年でインテリで、ものすごい美形で、気品があって大好きでした。 座長の渡辺えり子さんにはあまり認められていなかったようだけど。 後におかまとしてブレイクしたのをみつけて、なるほど~でした。 もりもりは、一歳違いでお誕生日が一日違いで 当時から自分の劇団を率いていて 詩的でちょっと薄暗い脚本を書いていました。 その薄暗さは純粋で好きでした。 闇ではなく美しい薄暗さで。 渡辺えり(子)さんは当時から売れっ子だったけれど 彼女の世界はおおざっぱで場当たり的でひとりよがりであまり好きじゃなかった。 もりもりの繊細さは、当時ではまったく売れそうに無かったけど 後に脚本家として有名になって その脚本は社会派ドラマなんかが多かったりして それでもところどころにきりっとした切り替えしがあり 「この言葉でなくてはあらわせないんだ、この悲しみは・・」 という風に言葉が並んでいたりして嬉しく思ったりしています。 20年以上が経っています。 でも本当に、20年くらい経たないとわからないことってたくさんあります。 この言葉は大学の演劇専攻の同級生でずっと役者をやっている子の言葉。 20年くらい経たないとわからないことってあるよ、なぁ~。 20年くらい経って深く思い出せるような出来事や思い出を共有できる仲間って その時はわからないけれどただならぬ縁とつながりなんだろうなぁと思います。
私は自己紹介などでスピリチュアルの実践を始めたのを 27歳のお誕生日から、と言っていますが 求めていたのはもっとずっと前からのことです。 27歳で何が起こったかというと、 真理の後姿を見つけたのです。 何度か触れていますが 「人類を救う治療法」という本に引き寄せられ その中で「4段階の意識」という記述があって 顕在意識、潜在意識、超意識、宇宙意識(=神)つまり 意識の深いところへ行くほどそれは純粋で高い神の意識へと近づくとされていて 「これはきっと真実だ」という風に感じました。 そのほかにも真実を感じさせる様々なポイントはたくさんありましたが それまで神を探していてみつからなかった私にとって これで神がみつかるかもしれない、という 信頼がそこに生まれたのです。 そうです。信頼です。 当時は今のようにスピリチュアルという言葉が一般用語ではありませんでした。 自己探求したくてもその方法は宗教か、自己啓発セミナーなどが一般的で どちらにも決して純粋にひきつけられることはありませんでした。 大学ではクリスチャンの教えを学び、礼拝も賛美歌も、司祭の前島誠先生も大好きで (ちなみにRuach[ルーア]は前島先生の礼拝の講話のなかで初めて耳にした言葉です。 ヘブライ語の発音で「ルアハッ」という音を前島先生の声で記憶しています) 信仰、つまり神を一番のお手本として生きることにはまったく異存はなかったのですが 肝心の神がなんなのか、どこにいるのか、神の真意とはなんなのかまったくわからず、 それは学ぶほど、知識を得るほど、 遠くなっていくように感じられていました。 実際に私は、心が引き裂かれそうに辛くなると 神に見捨てられたような気持ちで泣きました。 もし神が「すべての子らを愛している」なら なぜに自分はこのような心境に追い込まれるのだろうと まさに神をも呪ったこともありました。 そんな時に4段階の意識、という記述を見て 私は信頼する気になったのです。 神は天のどこか遠くにいる外人みたいな人ではなく 私たちの意識の一番奥、中心にある、という真実を 私は直覚で真理だと感じ「信頼できる」と認識したのでした。 私のスピリチュアルの実践というのは その信頼のもとに、自分を変えるワークに取り組むことにあります。 自分を変えるというのは簡単に言えば 真の自己(内なる神を核とする自己の魂)の周辺に表面的にくっつけた 癖や習慣、思い込みを取り払うことです。 その癖や習慣や思い込みは、この肉体に深く刷り込まれていて 時にはその肉体を生かすために使ったりしていますので 簡単に取りはずして捨ててしまうのは難しいのです。 肉体を生かす役割はそれらの表面的な癖や習慣ではなく 真の自己のパワー=神=宇宙の根源の生命力=愛・叡智が持っています。 ですが、そのことを思い出し真の自己のパワーに依存することを思い出すには 古い乗り物を捨て、その席から立ち上がって去るための信頼が必要になるのです。 たとえその姿が見えなくても 声が聞こえなくても 証明をすぐにしてもらえなくても なんの確証もないまま何も持たないまま そこに飛び込むことが信頼です。 信頼をもって飛び込んだとき 着地したあたたかい大地こそがその懐です。 懐で寝起きしているうちにやがて 「あれ?もしかして私は救われているんだろうか」と じんわりとその大きな愛がわかり始める。 神の愛はそんな感じのものです。
今日はてまえみそのようですが、 主人の全身調整(鍼灸・推拿整体・レイキヒーリング)のこと。 はたしてマッサージ師の奥さんがだんなさんにどれくらいマッサージしてもらえるか? 料理人はおうちではまったく料理しない、なんていうお話があります。 うちは、幸せなことに、主人は可能な限り私に施術してくれます。 私に鍼するために鍼灸師をやっているようなものだ、と言ったりしています。 嘘ではないのだろうけれど(冗談の可能性はある)それほどたくさんはやってもらえません。 一日に何人もの患者さんを診て疲れている人にお願いできるのは緊急時くらいです。 私はしろうとながら、幼いころからマッサージをしていましたので 私がだんなさんにしてあげることのほうが圧倒的に多いと思います。 でも先日、だんなさんに余裕があって、私は受けたいなと思うほど疲れていない時に だんなさんから「やってあげる」というお申し出があったので 私は美容鍼をお願いしました。 これは知っている人は知っていると思うのですが とびきり細い鍼を顔にたっくさん刺す施術です。 鍼には細胞を直接活性させる働きがあり、 また、気・血を流したり排毒するする作用があります。 さらに主人のレイキは私に言わせると、どんとグラウンディングさせるような 強いリセット力があるので、強制的なリラックス作用があります。 そしてもちろん、美容のためには健康あってこそ、であって ポイントを押えた全身の調整もしてくれます。 結果、私はものすごい深い瞑想状態のような 丹光とめくるめく光の中でエネルギーをぐるぐるこねて一掃されるような 全自動いのちの洗濯機にかけられたような状態になりました。 それで、思ったのは 多くの人は何か問題が生じないと対処しないのだけど 本当は積極的に自分へのエネルギー投資すべきなんだな、ということでした。 私は基本的に節制した生活をしていますので やっぱり何事にも控えめなところがあります。 きびしめ、なんですね。 だから、自分のクライアントさんにも 「積極的に来て下さい」とはなかなか言いません。 自己管理の範疇でできるならそうしてください、という感じです。 人はちょっと疲れたりすると 肉体的な欲求を満たすことで補おうとしますが 例えば疲れたから甘いものを食べると 体の中は、さらに疲れやすいほうへと傾いてしまいます。 心が苦しかったり重かったり痛んだりすると人はお酒を飲みます。 その時は一瞬マヒしますが、焦点がぼやけてしまって 本当の対処は先延ばしに遅れていき、 さらに、何が問題だったのか、本当に気づくべきことは何かということさえ あやふやになってしまいます。 本質的な対処、対処というより、本質的なエネルギーチャージは 平常時からすべきことであって そうするほどに人間としてのちからがつくんだという風に実感しました。 瞑想も本当にそうなんです。 苦しいときにやろうとしても、座っていることすら苦痛なのです。 でも平安時にするとぐんぐん深く入れるのがわかります。 苦しいときにはまず痛みをとること、重荷を軽くすること、という対処が必要です。 これは心身ともに同じと言えます。 ですから、重荷や痛みが軽減したらもういい、というのは 西洋医学風の考え方なのですが(ですよね。お薬は予防には使わないのが普通です) 予防医学や心の養生は、元気なときこそ習慣となるよう身につけるべきものですね。 世の中では鍼はぎっくり腰やとか肩こりの対処法程度の認識かもしれませんが 間近に見ていると本当に人間の生命そのものを扱った医学だということがわかります。 私は主人と出会う以前から、風邪をひいたら鍼灸院へ行っていましたし 歌のライブの前日に腫れた扁桃腺も喉に刺す鍼で奇跡的に回復した実体験から 鍼灸のすごさを知っていました。 でもそれ以上に、特に不調が無い場合にはさらに大きなチャージができることを とても実感しています。
お正月2日に行ってきましたと記事を書いたのに 写真を撮ったことをすっかり忘れていましたので 改めましてアップします。 ![]() 青森の恐山に行ったとき、あの世を感じましたが ここもあの世でした。 沖縄ではあの世はぐそーといいます。 ![]() ![]() ここがウバーマです。船でいうと舳先のようなところ。とても神聖な場所です。 ![]() 人が映っていますが、あの世の人ではなくうちの主人です。 瞑想でプラーナをいっぱいいただきました。 ニライカナイですよね。まさに。
OSHOもゆうとられました。 Osho, 創造性のどんな余地も残っていないように思える 掃除のような仕事をしているあいだ、どうしたら創造的でいられるのですか? 《このページへ直接のリンクが貼れないようです。 左のボタン[ライフスタイル]をクリックし、そのすぐ下に出る[今月の講話]へどうぞ》 もしお掃除が創造的な作業でないなら 毎日真の喜びの中でそれを行うことはできないでしょう。 やがては飽きて、退屈して、その作業が無意味で虚しい行為だという理由を あなたの思考は探し続けることでしょう。 飽きる、退屈するのは、心のなせる業。 心は移り変わり実態がありません。 心の表層の波ではなく その下に潜む大海に居るということは 表層のあらゆる波にも動かされること無く その奥に横たわる真実とともにあること。 「どこでなにをしていても本当の自分でいることができる」 というのは、そのことです。 なにかをしているときだけはスピリチュアルで 「スピリチュアルなことかかわっていないとき」はスピリチュアルではない、 ということが起こりうるとすれば 表層の波に気をとられているときはスピリチュアルではありません。 どのような善行をしても 神の教えやスピリチュアルな仕事と言われているものに属しているとしても。 いかなる行為の中でも 行為者である自分に毎瞬気づき 意識の内側からそれを観るのであれば スピリチュアルです。 真実があなたとともにありますように。
いったん心の浄化が始まると 当然のことですが取り巻く世界には変化が起こります。 (内面が変わるのでスクリーンに映るものが違って見えます) ヒプノセラピーでもレイキヒーリングやアチューメントでも だいたい同じことが起こり得ると言えます。 (これらは潜在意識に高いバイブレーションを通して浄化します) 最初は詰まっていた排水溝のごみがとれたように すっきりした、軽くなった、ということが起こることが多いようです。 視界が開けた感じがしたり、からだが伸びてまっすぐになったり また、マッサージの後のだるさのようなことも起こります。 これまで縮まったり歪んだりしたまま 固まっていたエネルギーやからだがほぐされることで、 ぐらぐら揺れる感じやどっと疲れが出るように感じられることもあります。 眠気はよく起こります。 それから、心の浄化が進むにつれ 以前よりも心が敏感になる、と感じられる方は多いようです。 以前だったら気づきもせずに通過していたことが 心にとまるようになる、という感じです。 そうすると、気になることが一時的に増えますので 結果として以前よりも感情が揺れやすいとか また過去の忘れたかった記憶などが思い出されて動揺するようなことも起こりえます。 極端なときは長いこと握り締めていた感情が噴出するようになり 涙が出て仕方ないとか、 過去の怒りを手放した反動で罪悪感が強くなったりすることもあります。 多くの人はこの段階で非常に恐れを感じます。 悲しみと怒り、そして罪悪感というのは多くの人が忌み嫌う感情や感覚です。 そういったことから逃れたいがためにスピリチュアルに取り組んだのに 前よりもひどくなったように感じる、というのは大きな混乱を招きます。 けれどそれは恐れるべきことでは決してありません。 そこで焦って抵抗したり、元の古いやり方でそこから逃れようとしたり (例えば飲酒だとか、快楽的で、自分の波動を下げるような行為などで) 元の習慣に戻ろうとするのはとてももったいないことです。 せっかくお掃除した排水溝に水が勢いよく流れるのが恐いから もう一回古いごみを持ってきて詰める、というようなことになってしまいます。 詰まっていた配水管から水が勢いよく流れるようになったら 最初はその状況に慣れなくても、それがとても自然で気分のよいものだということが しばらくしたらわかります。 ですから、流れ出ていくものはそのままにしておいてください。 それで、もしかしたら 「これは流したいけれど、これはとっておきたい」 という気持ちが出てくるかもしれませんが そういう区別をしていると流れるべきものもうまく流れません。 そのときに「流れを信頼する」という必要が出てきます。 ですから、一度私のセッションを受けていただいたら 変化の道のりを経て安心という領域に着くまでは ご質問やご報告いただくようお願いしています。 変化のときを、大船に乗ったつもりで過ごしていただきたいのです。 その大船は、私ではなく、神さまの大船です。 信頼していただくのは本当は私ではなくて内なる神です。 浮上してきたごみや汚れは、神が引き受けてくれます。 安心して預けてください。 そのように意識して過ごしていただくことで 信頼や安心の中で過ごすという訓練も進みます。 私たちは起こっていないことを恐れるという習慣によって身を守ってきたと信じています。 それを信頼という習慣に乗り換えます。 未知の領域に踏み込んだらこれまでの規範は役に立ちません。 というより、新たな規範に出会うために古い規範を手放すことが その時行われている最も重要な作業です。 新しい規範というのが、愛の法則です。 愛というのは二元性を超えた、ひとつであり、最強で最高の法則です。 愛は誰かに差し出しても減ることなく、双方に満たされます。 心の浄化が進むと、この法則があなたを統べるようになるのです。 疑いと恐れという古い規範から、愛と信頼という規範への 壮大な乗り換え作業が進むということです。 こういったことがスピリチュアルの根幹だと考えています。
お掃除が波動を上げるということにいつ気づかれたんですか?と、 ご質問をいただいたことがあります。 私は「貧乏だったときです」と答えました。 以前はあまりに貧乏だったので 人生に対して有益と思えることに対して積極的にに取り組むことが難しい時期がありました。 それで、自分に投資できることは 古本屋さんで本を買うことと アパートの部屋を掃除すること 自分の部屋と心の中を常に点検して把握しておくことくらいでした。 経済が立ち行かないと、 最低限の生活のサイクルから抜け出すのは余計に難しく見えます。 でも実際はそのことはそれほど問題ではないと今ならわかります。 私たちが人生を有益に生きること、 幸せへの道のりを歩むことへの転換は 私たちが本当にそうなりたいと願い そうなることを求め 実際にその道を歩むこと それだけです。 多くの人は、幸せになりたいに決まっている、と思っていることでしょう。 求めているけれどなかなかそうはならない。 きっとそうなるには何かを手に入れたり会得したりしなければならないに違いない。 もしくはそう願ってそれを手に入れられる人は限られた少数の 運命に選ばれし人なんだろう、と。 私も少なからずそう感じていた時期がありました。 でも今は違いがはっきりとわかります。 私たちがもし本気で幸せになりたいのであれば 心を変えることに取り組むべきだということです。 よく「幸せかどうかは自分の心が決める」という言葉を見かけますが それを知っていても多くの人は 「自分は必要なものをなんでも持っていて与えられているのに感謝できない。 幸せを感じることができない。 きっと私の中の何かがおかしいんだ。」とか 「私が幸せでないのはあれやこれが足りないからだ。 それさえあれば幸せになれるのに。」という風に思うでしょう。 でも、そう感じるのは無理もないことです。 なぜなら私たちは無数の無意識の記憶を基準にしながら 良い悪い、快不快、価値が有る無いなどを決めていて その基準は刷り込まれた習慣や印象などという とても曖昧で本質的な根拠を欠くものだからです。 そういった記憶の巨大な貯蔵庫を潜在意識と言っています。 その潜在意識の中にある習慣から来る欲求、欲望に動かされながら 私たちは普段生活しています。 理性によって食い止めようとしてもなかなか思うようにならないのです。 幸せへの道を実際に歩むこと、というのは この潜在意識をお掃除して さらにその奥にある真の自己=内なる神を感じ その中心とともに生きることです。 でも多くの人はそこでこう思うでしょう。 私は生き方を変えたくない。 ただ、今より少しだけ、幸せになりたいだけだ。 みんなが持っているものを私も持ちたいだけだ。 私よりお金持ちはたくさんいるのだから 今よりもう少し持つことができて 恋人や結婚相手がいて 仕事がそこそこ成功していて 余暇には旅行に行って世界を見たり 趣味を楽しんだり そういう普通の生活を望んでいるだけ。 だから自分の内なる神のことなんて今は考えたくないんだ。 もう少し欲望が満たされて満足したらそういうことを考えてみようと思う、などという風に。 つまり、自分が変わるのはいやだ、というのが 多くの人の考えなのです。 癒されたいけれど、変わりたくはない。 これまでの生き方で、自分は勝利したい。認められたい。 自分の間違いを認めるみたいで変わるのはいやだ。 それ以外のやり方がわからない。(それは、知りたくない、受け入れたくないだけですが) だから、普通の人みたいに、みんながやっているみたいに 自分は成功して幸せになりたいんだ、という風に。 もしそれが本当ならそうなっている人に教えてもらったらいいと思うのです。 でも実際はそんな人はいないでしょうし みつかったと思っても、人の持っているものや条件などが違いすぎて きっと参考にはならないでしょう。 本当のところそうやって、条件や持ち物などによって 幸せを測定することは不可能です。 私は人生をかけてそのことを学んでいます。 条件や持ち物などに関わり無く 誰もが自分の人生の幸せに取り組めるようなやり方を求め それを見つけられたと思っています。 何の秘密もないので かえってそれを伝えるのは難しいのですが できる限り工夫しながら伝えていけたらと思っています。 もし人生の中に不充分だと感じる部分があるのであれば 自分の心の点検を始めることをお勧めします。 方法はたくさん地上に用意されています。 誰にも知られずにひっそりとそれを始めることもできます。 スピリチュアルに興味があって 何かを見つけるために奔走している人も多いかと思います。 紆余曲折して見つけるのは楽しい冒険ですが 私たちが見つけたいのは真理だということを忘れないでください。 真の魔法は内側にあり、外側からやってくるものではありません。 外側からやってくる惑わしと決別し、目覚めることでしか 真理と出会うことはできないのだということから 私は惑わしの世界へ誘惑するものに警笛を鳴らす姿勢を取らざるを得ません。 スピリチュアルのデパートに並んでいる商品を残らずゲットすれば 自分が覚醒したように感じるのは更なる迷妄に陥ることになる可能性が強いでしょう。 どんなときにも真理に向かうかどうかの分かれ道となるのは 「気づき」により「心が変わるかどうか」です。 気づきというのは小さな悟りのようなもので 意識の目隠しを取り去ります。 これが心のお掃除です。 目隠しという隔たりが外れると私たちはより広く高くまた細密に世界を見渡せ 全体性を理解できるようになるのです。 2012年がスペシャルなすばらしいときになるかどうかは 私たちの気づきにかかっています。 それはどんなときでも変わりありません。 今日もすばらしい一日でありますように。
今年の三が日は沖縄聖地詣で三昧となりました。 我が家の休日ははほとんどいつでもノープランなのですが だいたい終わってみるとなるようになっていた、ということが多いです。 昨年は琉球八社を巡りましたが 今年は初心に還って斎場御嶽と久高島、首里へと参りました。 聖地と言われているところは地磁気の高さのためなのか バイブレーションの体感がとても強く感じられます。 パワースポット、というのはこのように 地磁気と人々の祈る心のパワーが相まって 波動調整されるのだろうな、という風に感じます。 久高島は、沖縄移住の準備で来たとき以来でした。 何度も行ったような気がしていたのですが 3年ぶり2度目の巡礼でした。 斎場御嶽は最近とても人気があるようで 観光客の方が大勢みえていました。 沖縄以外の方は多分、斎場御嶽などの御嶽や拝所を 過去に珍重されていた遺跡だという風に認識なさっているのだろうな、といつも感じます。 私も東京に居たころは、遺跡と名のつく場所や神社仏閣を訪れるとき 少なからずそういう風に体感していました。 でも沖縄へ来て実感したのは 沖縄ではリアルタイムでこういった場所での祈りや ご先祖さまへの法要が行われているのだ、ということです。 遺跡とか遺産というのは仮の名で 実際は今も祈りが日常捧げられています。 観光地として入場料を払って入るような場所も 別の門や入り口があって 神んちゅさんやユタさんや祈る人々のための通り道がちゃんとあります。 ほとんどの人が、切実に、というのか普通に、というのか、 見えざる神の息吹やご先祖の思いや大地自然に宿る精霊の声に 耳や心を傾けながら生活しています。 決して観光客のマナーが良くないとかそういうことではなく 体温の差みたいなものをリアルに感じて、いとおかし、という気持ちになります。 久高島では島の突端のカーベル岬まで歩いてきました。 これも地磁気の高さなのか 歩いてもあまり疲れません。 沖縄の景色にはだいぶ慣れてきましたが それでも何度となく息を飲むほどの美しさでした。 ニライカナイが何度も視界に重なって見えました。 ウバーマの近くのビーチの真っ白い石(珊瑚)に腰掛けて しばらく瞑想しました。 いつまででもそうしていられるほどの心地よさで 目を開けると砂浜がゆらゆらと歪んで見えるほど でっかくてたくさんのプラーナに囲まれていました。 SF映画なんかでのタイムスリップする直前のCG画像みたいで笑えました。 さて、スピリチュアル界では今世紀初頭から噂の的だった2012年が来ました。 いろいろと言われていますが 何よりも多くの人が自己の内面、真の自己に目覚めることができると 世の中の波動もぐっと上がっていいと思います。 地球の磁場が後押ししてくれてそういった作業のしやすい時期だと思います。 でも人間としてすべきことは特別なことは無いと思います。 瞑想、内観、内省、こつこつと意識と向き合いお掃除を欠かさないことだと思います。 人生はお掃除だと思っています。 (生まれて)来たときよりも(潜在意識を)きれいにして、帰ればいいのです。 ピクニックの極意と同じですね。 この極意さえ掴めると、存分に人生を楽しみ、醍醐味を味わうことも容易になります。 2012年はお掃除のはかどるときです。 みなさんご一緒に、はりきっていきましょう。 |一覧| |