(2)よりつづく
「さよなら、サイレント・ネイビー」 <3>地下鉄に乗った同級生 伊東 乾
いくら引っ張ったとしても、キリがないので、この本についての感想はこのエントリーでとりあえずの終了とすることにする。私にとっての一番の感心事は、前回のエントリーにおける「5)地球と人類の未来について」なのだが、オウム真理教や地下鉄サリン事件をどう弄り回しても、直接的には、ポジティブなエネルギーが湧き上がってこないのは残念である。
そうは言っても、たくさんの突っ込みどころはそのまま残ったままになってしまっている。以下はこの本の取り巻く環境のなかから、今後いつかは再発しそうなテーマをただ羅列だけしておく。
1)この本が出ることになった「開高健ノンフィクション賞」の審査員の一人に佐野眞一がいることになるほどという新鮮な感動があった。「これほど知的興奮を覚えた作品は近頃珍しい」と評価している。
2)「往相」と「還相」という言い方があるとするなら、Oshoとであった75年からOshoが肉体を離れた90年までの足掛け16年が、私自身の「往相」であった。90年以降の私は、言葉としても意識して「還相」の時代を生きてきた。詳細は省くとして、そういった「社会へ、人の中へ」という時代の中で出会った95年のオウム事件については、ひたすら違和感を感じざるを得なかった。あれからほぼ16年私の「還相」はある原点に指し戻ったような感覚がある。一つの円環が完結して、2007年、あらたな次元が始まる気配を感じる。
3)オウム真理教について、いろいろな経緯の中で20世紀末の666、「偽マイトレーヤ」に仕立て上げられてしまった、という感慨をもつ。ほとんど自爆したに過ぎないのだが、社会が、キリスト教社会がこのような「偽マイトレーヤ」の出現を待ち望んでいたように思う。まんまと引っかかってしまったのが、松本一派であっただろう、というのが私の中の納得点である。
4)地下鉄サリン事件とは何も関係もなかったのであるが、Oshoに対するマスメディアによる歪曲報道が展開されるに及んで、国内のメディアに関心あるサニヤシンたちとネットワークを張って、訂正要求を送り続けた。この時のトラウマが、ちょうど時代的に立ち上がってきたインターネットの必要性を私が強く感じ、参加していったきっかけになった。
5)この時の、中沢新一や島田裕巳などの親オウム学者たちについては、ハッキリ言って強く批判したい気持ちで今も変わりはない。今でも彼らを許さない私がいるのであるが、彼らはほかにもいくらか「良い」仕事をやっているようだ。私はそろそろ頑なな気持ちを解いて、彼らの近年の仕事にも触れてみようかな、と思っている。ただ、言葉でいきている限り彼らの犯した誤謬は誤謬として記憶はされなくてはならない。
6)オウム一派は、各地に自らのブランチをもっていた。私達の町にもあった。あったばかりか、当時の私達のオフィスのすぐ側にあった。側にあったというばかりではなく、住所は、ほんの数字の一文字が違っていただけであった。私達のオフィスも印刷物などで公表されていた住所だから、ひょっとすると、そのすぐ側を狙ってブランチ作りをしているのか、と疑いたくなるほどだった。80年代後半のことであるが、意図的ではなかったとしても、どうもこの辺のキモいシンクロ現象については、まだ解決できていない。
7)オウム心理教の「教義」そのものは、実にごった煮の観を出ないのであるが、この中において「オウム」という「聖音」が、この事件を通じて、なにごとか他の意味合いを帯びてしまったのは、いかにも悲しいことだと、つねづね思っている。聖なる音として「オウム」の復権を願うものだ。そして、チベット密教タントラの真実なる復権と成長を願う。
8)「さよなら、サイレント・ネービー」という言葉が、もし、著者・伊藤乾が、学生時代の親友・豊田亨に言った言葉であり、寡黙なまま死刑台に消えようとするのではなく、寡黙な海兵隊であることに、さよならを言え、という意味であったとするなら、私は私自身にこの言葉を言ってみようと思う。「雄弁は銀、沈黙は金」などという言葉に、どこかで共感する私がいる。
9) 著者・伊藤は事件の再発をふせぐために、豊田よ語れ、と催促するが、私は必ずしも事件には関わりはない。むしろ、あの地点でとまってしまった、私自身のなかでの「人類の精神的成長の過程」への探求、というものがあったとすれば、もう一度、その地点に立ち戻ってみようと思うのである。
10)長澤靖浩が「魂の螺旋ダンス」で書くように、スピリチュアルな成長過程が、円環状に繰り返すでもなく、直線的に進むでもないp1とするなら、私の螺旋ダンスは、一段次のステージに進むことになる。
<4>につづく