地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「チベット(上)」 東洋叢書(3) 山口瑞鳳 1987 東京大学出版会
活仏についてくわしい一冊という紹介を読んで取り寄せた一冊。上巻を読んだところでは、いままで他書で読んできてしまった以上に、詳しいとは特に思わなかった。著者は1926年生まれだから、もしご健在であれば、すでに80歳を超えるご高齢の方である。
この方が20年前に、自らの「学問」の集大成的な形で出された本と言えるのだろうか。中沢新一ブーム以後、麻原集団事件以前、というタイミング。なるほど「雪の国からの亡命」原書1984などの新しいチベット研究や報告画ではじめた時代であり、「神秘」にかこつけて、ともするとあいまいなまま誤解されつつ紹介されてきた「チベット」理解を、文献学(たぶん)をもとに、ひとつひとつ訂正し続ける。文献学、とちょっと侮蔑的に行ってしまうのは、彼はどうやらチベットを「一見」もしていないからである。
しかし、チベットに行かなかったチベット学者がいたとしても、必ずしも可笑しいわけではない。すでに膨大なチベット研究や情報がもたらされており、それらを未整理なまま放置しておくより、誰かが整理し、相互チェックして、より真実に近いものとして確定し、保存していく必要はあるからだ。誤解があらたな迷妄や紛争の芽となってはいけない。著者の位置づけは、日本のチベット学界におけるご意見番、というところか・・・?
グリューベルはまた、宮殿の入口にかかっていた画によってダライラマの肖像を描いたともいわれている。さらにチベット人が今も手にもって回しているマニコル(マニ輪筒)を紹介している。また、観音の真言として有名なオンマニペーメフン(オーム宝珠・蓮華フーム)について、アンドラデについですこしくずれた形で「オマニペミフム」と伝えている。古くにルブルックのウイリアム修道士が「オンマンバッカム」の形で言及し、サフラン色の僧衣をまとった、貞潔をまもる僧が数珠を手にして唱えると述べているが、場所がカラコルムの異教寺院でのこととなっているので、チベット仏教とのかかわりは推測だけで確かめることのできないままになっている。p31
「チベット(下)」につづく
オンマンバッカム