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テーマ:本日の1冊(3686)
「神秘の次元」につい手が伸びたのは、この本があまりに単調に推移して、結局は、自分の生い立ちをOshoを背景に書いただけで、Oshoがもっている深みを何も表現しないまま終了してしまったからだろう。しかも、幼児体験と言われる部分はあまりにリアルに書かれすぎていて、むしろ虚構性が高い感じがしてきた。 6歳当時、Oshoのコミューンに何が起きていたかなんて、この幼児にわかるわけはない。もっとも、それは、大人たちにすらわからなかったことがほとんどだ。のちのちにそれぞれの立場の人々が記録を残したので、初めてわかったことも多い。Tim Guestは、結局、それらのほかの人々が書いた本を自分のわずかな体験を織り交ぜながら、再構成しているだけではないのか。 For most of my sannyasin life I saw Bhagwan only through his photos, which sannyasins put up everywhere they took residence. p277 誰がどう印象を持っていたか、ということについて審判することはこのブログの目的ではない。それぞれの印象はそれぞれの印象のままにとどまる。ただ、科学者、ジャーナリスト、神秘家、という三要素的側面からのアプローチをこのブログが選んでいるとしたら、まず圧倒的にこの本はジャーナリズムに属する本で、決して神秘に属する本ではない。 何歳の子供であろうと、神秘は神秘として体験することはよくあることだ。それは何歳という限定はつけることはできない。しかも現在32歳になっているであろうTim Guestがこの本を書いた限りにおいては、既知、未知、不可知の、最後の不可知の部分については、ほとんど何も知らず、関心さえないかのようだ。 瞑想や、神秘体験、幻視、ビジョンというものは一概に一列に並べることはできないが、すくなくとも、「My Life in Orange: Growing Up with the Guru」というタイトルに私が期待したものは、ほとんど裏切られた形だ。今の時代において」「Orange」という限定的修飾を使っていること、あるいは「Growing Up with the Guru」というタイトルを使っていることに、納得感はない。 コミューン(という共同的住まい)に育ったかもしれないが、「with the Guru」というほどのことはなにもない。すくなくとも「幼児洗礼」的にYogeshと呼ばれることはあったかもしれないが、彼はOshoを「Guru」としては受け入れてはいまい。彼の両親もまたOshoとであう前に、彼は生まれたのであり、彼の人生は彼の人生なのであって、本来であれば、ここで「Guru」などを持ち出して、自分の人生を語ったりするべきではなかったのではないか。 私の英語能力には限界があり、上記はあくまでも極私的理解でしかないが、彼の「喪失感」は、もともとの生い立ちに起因することが多く、それはOshoとはほとんど関係ないはずだ。若くしてフィジカルにOshoにふれていたとしても、魂やスピリチュアリティにおいて、近くにいたことにはならない、という好例である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.02.04 03:10:17
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