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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.01.15
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「岡倉天心『茶の本』鑑賞」
立木智子 1998/10  淡交社  単行本  190p
No.940★★★★☆

 
「茶の本」の和訳に関して言えば、著者の拙訳も含め、数多く存在する。そして、さらにインターネットにおいては「茶の本」の原著である英文そのものが、コンピュータの画面を通じて読めるのである。それも全文である。p11

 探してみれば、天心関連本は数限りなくある。おっかけていったら、それだけで一つのブログが成立しそうだ。しかし、原点はここだろう。

 「茶の本」でいくら茶の湯についての説明を読んだとしても、実際に茶会というものを目にしなければ、茶の湯とはどういうものかなかなか理解できなかっただろうし、同様に単に茶の湯を見ただけでもまた、それが何を意味するかは一般のアメリカ人には理解できないだろう。p37

 そして、まさに茶の道については、そのとおりである。

 在では産業主義の発展の上に、情報革命という大きな社会変革がある。今の時点ではしがきを書くとしたら、残念ながら、松平(恒雄・1926年当時中米大使・引用者注)氏のように、茶の湯の精神を失っていなくて幸運であるなどと、楽観的なことは書けないし、天心が西洋の読者に対して警告していたように、今度は日本人自身が警告を受ける必要がある時にきていると思うのである。p54

 ということも本当だろう。

 本では、蒙古襲来の影響を受けることなく、宋のお茶を受け継ぐことができたので、天心は、「茶の理想の極致は、日本の茶の湯において、初めて、見ることができる」と言う。そして、その茶の湯とは、茶の理想的な飲み方を説くものではなく、いかに生きるべきか、その技を説く”宗教”であると定義する。p82

 簡単に首肯できる箇所ではないが、もしそうだとしたら、なんという、茶の道の魅力であろうか。

 心の言う宗教とは、俗世間を超越することのできる広い意味での哲学であり、そしてその哲学は茶を通して学ぶことができるのである。このように宗教を狭義に解するのではなく、広く定義した上で、最後に天心は言う。
 茶は俗世間を超越する一つの手段であって、だからこそ、生きる技を説く宗教なのである、と。であるからこそ、天心の説く”茶”とは、文化や宗教を越えた普遍的なものである、とつくづく思う。
p85

 この部分については、共感できることは間違いないが、私なら、もうすこし自分なりの言葉に置き換えないと、腑におちない。

 心は芸術をあまりにも理想化し、神聖化することによって、我々鑑賞者と芸術に大きな隔たりを作ってしまっているのではないだろうか。p109

 この疑問はよくわかる。あるいは、常にこのような批判的な読み方があってこそ、読書というものが成り立つはずなのである。

 人とは、茶人自身が芸術そのものであると定義する天心であったが、果たして彼自身「茶人」であったのだろうか。p118

 たしかに、「お茶のおけいこ」シリーズにみる茶人像からは、かなり乖離した人生を送ったかに思える。

 心自身、茶道をどこまで深く綿密に理解し、茶法を習得していたかは明確ではないし、また、自由奔放に自分の意志のまま何でも主張し行動した彼が、どこまで茶道が重視するところの自己抑制ができたかは疑わしいが、漢詩をはじめ、南画や書道を十分心得ていたという点では、総合芸術である茶を理解する素養は十二分にそなえていたのである。p118

 この辺は、女性ならではのこまかいチェックがされている。たしかに天心には女性問題だけでないスキャンダルも見え隠れする。

 代社会に生きる我々が茶の心から学ぶべきものがあるとすれば、まずそれは、自然保護やエコロジーという観点からであろう。大量生産=大量消費という時代に簡素、質素、節約を慈しむ心を大切にし、無駄を省き、何事も合理的にことを運び、人は自然と共存しているという考えのもとに行動する。なんと現代に有益な今日的な思想であろうか。p127

 文章としては美しい。まったくその通りである。しかし、この文章が書かれた1998年から10年経過して、おだやかなるべき正月の、茶の間の団欒時間に流されたTV番組は「地球危機2008」であった。

 学力はもちろんのこと、まず、第一に、自分の国の文化を知ること、第二に、国境を越えて常に批判的に考えようと努力し、第三に、地球規模で物を考え、自分の住んでいる地球、そしてその地球上に生息している動植物を大切にすること、つまり環境問題に敏感で理解があり、その理解にもとづいて行動することがが、国際人に必要な条件である(後略)。p130

 ここまでくると、当ブログ「地球人スピリット・ジャーナル」の主テーマに近づいてきて嬉しい。しかし、茶を愛でているだけでいいのか、という疑問以上に、ブログを書いているだけでいいのか、という自らに対する疑念もまた湧いてくる。

 「茶の心」とは今まで十分に論じてきたような、日常生活において些細な事柄に美を見いだす思想であったり、自然と共存していると認識しながら、自然と簡素を慈しんだり、国際社会に生きていいく上で、日本人としてのアイディンティティを持つことの重要性を認識することなどである。p134

 「日本人」とはいきなり無規定には使えない言葉だが、文脈としてはまさにその通りであると思う。しかし、ちょっと理想が高すぎる嫌いがないでもない。

 の文化を、我々の日常生活から切り離された単なる理想論、つまり「茶道とは、有閑階級のご婦人方が、暇潰しにお遊びをされているだけである」などというものに終わらせるのではなく、二十一世紀に突入しようとしている現代に、日常生活を生きる我々と茶の文化との二者をどのように繋げていくことができるのかを考えてみたい。p140

 異論はない。しかし、この二者は、本当に繋がり得るだろうか。






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Last updated  2008.01.15 17:04:10
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