<6>よりつづく
「私が愛した本」 OSHO <7>
マルクス「資本論」についてはすでにOshoのコメントを採集したが、こちらでは「共産党宣言」について語っている。
私はカール・マルクスとフリードリッヒ・エンゲルスには反対だが、このふたりの手になる本「共産党宣言」は評価しなければならない---が、いいかね、私は共産主義者ではない! 私以上の反共産主義者はいないだろう。だがそれでも、私はこの小さな本「共産党宣言」が大好きだ。この本の書き方が大好きなのだ---内容ではない、スタイルだ。p175
私は「共産党宣言」が書かれているスタイルを愛する、が、内容は嫌いだ。私のいうことが分るかね? 衣装は大好きだが、着ている人間は嫌いだということもある。この場合の私がまさにそうだ。「共産党宣言」の最後の文章はこうだ。「万国のプロレタリアートは団結せよ。諸君は鎖以外に失うべきものを何も持っていない。そして諸君は、世界を勝ち取ることができる」と。
このスタイルが分るかね? この言い方の強さ、「団結せよ! あなたたちには、鎖以外に失うべき何ものもなく、勝ち取るべき世界がある・・・・」と。それこそが私が私のサニヤシンたちにいうことだ。ただし私は、「団結せよ」とは言わない。私は「ただ在れ」と言う---そして鎖以外にみんなが失うものなど何もない。
そして私は、世界を勝ち取れなどとは言わない・・・・誰が気にする? 誰がそんなこと気にかける? 私に、アレキサンダー大王やナポレオン・ボナパルト、アドルフ・ヒトラーやヨシフ・スターリン、毛沢東になるように説得できるかね? こういう白痴たちが長い列を作っている。そして私はこういう連中とはどんな関係も持ちたくない。私は私のサニヤシンたちに「勝ち取れ」とは言わない---勝ち取るものなど何もない。「ただ在れ」---それが私の宣言だ。在りなさい、有ることの中で、人はすでに全てを達成している。p175
Oshoには「Beware of socialism」という本がある。どうやらネットからもダウンロードできるのかな・・? 1984年にアメリカのコミューンで発行されたものだが、翌年には「Rajneeshism」とともに、Osho自らが「焚書」に処したとされる本である。幸か不幸か、私の手元にも一冊残っているので、いつか、自分の関心が盛り上がってきたら、この本にも触れてみたい思っている。
この本は1970年にOshoがインドの聴衆に向かって講演したものを英語に翻訳したものである。この講話が成されたいきさつ。それが一冊の本にされて出版されたいきさつ。そして英語にされて、さらに焚書になったこと。そしていまだにネットで読めることなどを、一連の流れを考えると、貴重な資料となるのではないだろうか。もちろん、共産主義とSocialismとは同義ではないが。
<8>につづく