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カテゴリ:スピノザ
「ニンマ派をよく知るために」 <総括>
現在のチベット仏教ブームは、中沢新一氏がニンマ派の僧侶ケツン・サンポ師のもとで実際に修行し、そのときの体験を出版(「チベットのモーツァルト」したことに始まったといってもいいくらいである。「改稿版 虹の階梯 チベット密教の瞑想修行」は、ゾクチェン(大究竟)の修行に関するニンマ派の古典的文献で、もはや記念碑的著作となっている。ゾクチェンについては、ナムカイ・ノルブ師による「ゾクチェンの教え」や「虹と水晶」が出版され、その全貌が明らかにされようとしている。ケツン・サンポ師の「知恵の遥かな頂き」を読むと、チベットにおける「ガクパ(密教行者)」の相貌が浮かんでくる。「チベットの死者の書」(カルマリンパ)が、世界的なチベット密教ブームの発火剤となったことは、今さら指摘するまでもない。「裸形のチベット」 正木晃p275 行きつ戻りつばかりしていても、なかなか前に進まないので、この辺ですこしづつ区切りをつけておく。別に意図したわけではなかったのだが、かの深読みリストをランダムに読みすすめた結果、ニンマ派についてのとっかかりがいちばん早く、一応いちばん最初に再読が終わったので、とりあえずの「ソーカツ」をしておく。 「チベットのモーツァルト」は、現在までの中沢の仕事の経緯を見ると、すでにその種が播かれていたという点では納得の一冊だが、一読者の私にとっては、やはり洒脱で能弁な中沢節には、ちょっと警戒を怠れないな、という危険な香りを感じる一冊。正木はこの一冊をもって「現在のチベット仏教ブーム」と言っているが、この本は、当時、雑誌等に断片的に投稿されたものが合本となっていることを考える時、中沢の一連の著作活動、と読みなおしてもいいのだろう。 その活動の中に含まれるのが「虹の階梯」だが、1993年に「改稿」されたものが「完全」であるのかどうか、私は懐疑的だ。むしろ「初版」1981年のほうが、記念碑としては説得力がある。「改稿」版は、私の警戒モードをさらに高める結果となった。この本が、その直後の麻原集団事件とともに、社会的濁流にのみこまれたのは、不運だったのか、幸運だったのか、もうすこし時間が経過しなければ、最終的な結論はでないだろう。 「ゾクチェンの教え」は、最初の手っ取り早くリストを作ろうとする段階では、よく意味がとれなかったが、再読してみれば、なるほど、これは面白いと、納得の一冊。魑魅魍魎に見えるチベット密教の世界だが、このような形でゾクチェンの境地が提示されていれば、禅の悟りの世界との共通項も見つけることもできるし、中国禅の頓悟と底通する部分も発見して、当ブログにおける地球人スピリットの、全体をつなぐゲートウェイの役割を果たしてくれそうだ。 「虹と水晶」は、ナムカイ・ノルブの世界を補完するうえでとても役立った。ゾクチェンという言葉がより身近に感じることができた。しかし、わかりやすいのはよいのだが、言葉として分かったつもりになっても、実際には体得していないことのほうが圧倒的に多いので、こういう「わかりやすい」本から入っていくのは、良いのか悪いのか、今は判断不能。ただ、あまりに難解な本から取り組むより、親しみを持てる部分から始めることは、私のような門外漢や初心者には、当然のことと思える。 ラマ・ケツン・サンポの「知恵の遥かな頂き」は、幸か不幸か、中沢とのカップリングで取り上げられることの多いケツン・サンポ師の自伝的一冊であり、その稀有な人生の特異性が際立っている。このリストの中では、1959年のチベット動乱で、チベット国外に逃れた二人のニンマ派のラマが紹介されているわけだが、イタリアに逃れたナムカイ・ノルブ師の、どちらかというと才際立った雰囲気に比べ、日本に派遣されたケツン・サンポ師の、飾らない人柄が一段と親しみを持たせてくれる。 「チベットの死者の書」については、他にさまざまな異本があり、いずれ機会をあらため読み比べてみようと思うが、この本もまたニンマ派に属する一冊であったということを考える時、他のカギュー派やゲルク派に対する位置づけが次第に解き明かされてきたように思う。チベット密教の古派というべきか、基本というべきか、保守というべきか、その実直な風格が自然と染み出てくるような部分が、ニンマ派的、というべきなのであろうか。 「西蔵仏教宗義研究」は、日本におけるチベット密教研究の第一級の資料とされるもので、中沢の師であり、ダライ・ラマによって1961年に日本に派遣されたケツン・サンポ師などの受け入れ先になった東洋文庫での研究がベースになっているらしいことを考える時、二重三重に意味深い。このニンマ派の章も必ずしも門外漢には扱いやすいものではないが、チベット密教に対するしっかりとした理解のベースを提示してくれているようだ。 このニンマ派の他には、カギュー派とゲルク派を再読してみようと思うが、それもこれも、結局は、一連の「ツォンカパの著作」の再読へ向けての準備であると考えている。好みでいえば、私はツォンカパはあまり好きになれそうにないのだが、チベット密教全体を知る意味では、ツォンカパは避けて前に進めないポイントのようだ。それと、ツォンカパを軽く再読し得たら、ナーガルジュナとアティーシャ関連の本にも一度目を通したいと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.03 17:04:53
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