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テーマ:本日のお勧め(374054)
カテゴリ:スピノザ
「性と死の密教」 本書は、著者が1996年に、東京大学文学部インド哲学仏教学科で講じた「インド密教研究」の教科書として書かれた。pV この1996年というところが微妙なところ。 はたして何人の読者が、本書を最後まで通読するだけの根気をもっているか不安であるが、とにかく本書を購入した以上、騙されたと思って最後まで読んでいただきたいというのが、著者の切なる希望である。pvi いきなり「まえがき」でこのように驚かされたが、意外や意外、最後まですんなりと通読することは可能である。あれから13年が経過し、チベットやインドの密教についても一般的な常識として理解されるようになってきたのだろうか。すくなくとも、当ブログではすこしはその世界観や語彙にも慣れてきている、とは言える。 「インド密教研究」と銘打たれているだけに、チベット密教からはやや離れる部分もあるが、全くのつながりが切れてしまうわけではない。むしろ、インドや中国とのつながりの中でチベットをながめようとするなら、インド密教からの視点もより明確にしていく必要がある。 密教は、万人に開かれた教えではなく、資格を得た者以外には示してはならない性格の宗教であった。そして、この宗教に参与する資格を与える入門儀式こそ、灌頂に他ならない。p117 当ブログは、特段に「密教」に関心あるわけではなく、その「資格」を得ようと奮闘しているわけでもない。しかし、一般図書館の開架蔵書として「密教」が公開されている限り、許される範囲で、密教の秘密を覗いてしまおうという野次馬根性はある。 1995年のチベット動乱以後、チベット密教が伝播して流行するようになった欧米では、この「光明」がClear lightと訳されるようになったので、死の瞬間には、誰でも実際に「輝く光」が見えると説く者がある。しかし、「行合集灯」の表現を借りれば、「光明」は<智恵の眼で見る>ものであり、世間一般に存在するような光ではない。p190 この部分を指摘する人は多い。しかし、異なる文化間における「理解」の始まりは、まずは互いの「誤解」から始まるのだから、次第次第に真の理解に向けて歩み続ければいい。 ある活仏(カギュー派)の話によれば、生起次第から究竟次第に進むのが常道であるが、チベット仏教の欧米えの伝播においては、諸般の事情により生起次第を省略したり著しく簡略化したりする便法が行われたという。 その理由は、生まれながらの仏教徒であるチベット人とは異なり、キリスト教が文化の基盤をなす欧米への布教においては、自分たちの仏教の実践が明白な効果をもたらすことを、まず示さなければならない。そのためには究竟次第系のヨーガが最も効果的であり、生起次第を省略することに批判的なゲルク派出身のダライラマ14世でさえ、欧米布教においては、やむを得ない便法として黙認しているとのことであった。p245 実際にチベット密教の文献に首を突っ込んでみれば、あまりに煩雑なシンボルや言語が入り乱れ、もしもチベット密教が未来の地球人スピリットへと成長していくとするなら、どこかで何らかの方法でシンプル化されなくてはならないだろう。「著しく簡略化」されすぎるのもどうかと思うが、適応できる「便法」があるなら、適時に適格に対応されることを望む。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.03 21:50:10
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