歴史教科書の沖縄戦「集団自決」の記述変更問題について、10月17日の朝日新聞社説は次のように論評している;
沖縄戦の「集団自決」をめぐる教科書の記述が、再び修正されることになりそうだ。
来年度から使う高校の日本史教科書で、「日本軍に強いられた」という趣旨の表現が軒並み削られたのが、問題の発端だった。
渡海文部科学相は、教科書会社から記述の訂正申請があれば、「真摯(しんし)に対応する」と語った。党派を超えて開かれた県民大会について、福田首相も「県民の思いを重く受け止めている」と述べた。
沖縄の怒りの大きさを思い知らされたのだろう。首相や文科相が代わったことも大きいに違いない。間違った方針を転換することは歓迎したい。
問題は、どのような考え方に立って、どのように改めるかである。
沖縄の人たちの怒りを収めたいというだけで、教科書の内容を変えるのでは、ことの本質を見誤る。問われているのは、なぜ集団自決が起きたのかであり、「日本軍に強いられた」という表現を削ったのが正しかったかどうかだ。
日本軍に集団自決を強いられたという住民の証言は数多くある。問題の検定の後、日本軍に強制されたという体験を新たに話す人たちも出てきた。
渡海文科相は「真摯に対応する」というのなら、検定を撤回すべきだ。
文科相は「政治的介入があってはいけない」といって、みずから動こうとはしない。しかし、いまだに不可解なのは、そもそも今回のような検定がなぜまかり通ったのか、ということだ。
問題の検定は、安倍政権の下でおこなわれた。安倍氏は首相就任の前に、これまでの歴史教育や歴史教科書を「自虐史観」と批判していた。そうした雰囲気が教科書の検定に影響しなかったのか。
いま文科省が描いている決着方法は、検定を撤回しないまま、教科書会社から記述訂正の申請を出してもらい、それを認めるということのようだ。
だが、この方法で元の記述がきちんと復活するかどうか心配だ。
それというのも、記述の復活は事実上、検定意見を撤回させることになるからだ。それは文科省が嫌がるはずだ。
教科書会社は文科省の顔色をうかがって、あいまいな決着を図るようなことをすべきではない。検定に出した教科書は自信を持ってつくったはずである。記述訂正をするならば、検定前の記述通りに申請し、筋を通すべきだ。
教科書会社の姿勢も問われていることを忘れてはいけない。
文科省が記述の再修正を認めるということになれば、なぜ検定が間違ったのかも調べてもらいたい。
文科省の教科書調査官がそれまでの検定方針をくつがえし、「日本軍の強制」を軒並み削除する意見書をつくったのはなぜなのか。専門家の審議会はどうしてそのまま通したのか。そうした一連の検定の過程をぜひ知りたいものだ。
2007年10月17日 朝日新聞朝刊 13版 3ページ「社説-教科書会社は筋を通せ」から引用
沖縄県民の抗議を受けて、一度変更した教科書の記述を再度変更するということは、前回の変更指示は間違いだったということである。間違いだったというなら、自ら撤回すればよさそうなものだ。自分で間違っておきながら、変更したいなら申請してこいとは、いかにもお役所らしい横柄な態度だ。しかし、国民はなぜあのような間違った検定意見が出たのか、不信に思っている。文部科学省は事の次第を明らかにし、再発防止の手を打つべきである。