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2008年03月19日
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カテゴリ:政治問題
 毎年行われる東京大空襲被災者の慰霊祭が関東大震災の死者の慰霊と合同で執り行われているのはおかしいとの投書が、2月24日の朝日新聞に掲載されている;


 東京大空襲の慰霊法要が今年も東京都慰霊堂(墨田区横網町公園内)で、祥月命日の3月10日、都慰霊協会の主催のもとに執り行われようとしている。だが、この日の慰霊が関東大震災の死者と合同で行われるものであることを知る人は少ないであろう。

 事の経緯は今措(お)くとして、1952(昭和27)年からずっとこのかた、天災と、人災とも言うべき戦災の死者を一緒くたにして慰霊してきているのである。かつて小泉内閣時代、「死者はみな仏様になるのだから」といったような論法のもとに、A級戦犯の靖国合祀(ごうし)を擁護し、結果として戦争責任を曖昧(あいまい)にしたことがあったが、それを思い起こさせる。

 天災による大震災の死者を追悼することも、人災による大空襲の死者を追悼することも、いずれも大事である。しかし、死に迫いやられた原因と経緯が全く異なる死者たちの思いは、決して同じではないはずである。

 その思いを汲(く)まずして同じく死んだ者だからと合同慰霊することは、焦熱地獄の中に死んでいった者たちの心を踏みにじり、歴史的真実を風化させる行為ではあるまいか。両親ら肉親3人と生死を引き裂かれた東京大空襲の遺族として、許容できることではない。


2008年2月24日 朝日新聞朝刊 13版 8ページ「声-空襲と震災の慰霊なぜ一緒」から引用

 私は東京大空襲の遺族ではないが、この投書には共感できる。合同慰霊はあまりにも無神経である。
 ところで、当時の小泉首相がA級戦犯の靖国合祀を擁護するために言った「人は死んだら・・・」という発言は、彼が普段からあまりものを考えない、頭カラッポな人物であることを示す間抜けな発言であった。それと言うのも、靖国神社は「お寺」ではないのだから「仏様」は祭らない。逆に、「人は死んだらみな『神様』になるのだから」というのはウソである。その証拠には、後に靖国神社を設立した官軍が幕府軍と戦ったとき、戦場に倒れた幕府軍の遺体を地元の住民が埋葬することを官軍は禁じて、見せしめのために放置させたのであった。しかし、それはあまりにもむごいとして官軍に楯突いて、遺体を手厚く埋葬して弔ったのが清水の次郎長親分だった。その時の次郎長親分のセリフが「敵も味方も死んだらみな仏様だ」というものだった。したがって、戊辰戦争から100年以上たっても幕府軍の死者を祭らない靖国神社を擁護するのに「人は死んだら・・・」というセリフが如何に場違いであるかという話である。







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最終更新日  2008年03月20日 10時12分13秒
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