橋下徹元府知事が仕掛けた大阪のダブル選挙の結果について、評論家で神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏は、12月9日発売の「週刊金曜日」で、次のように述べている;
大阪の2つの選挙は、新たな政治反動の幕開けを思わせる。「維新」を唱える二人の候補者を勝たせた有権者たちは、何を考え、何に期待したのだろうか。
-まず、今回の大阪市長選挙、大阪府知事選挙結果について、率直にどのような感想を持たれましたか。
<内田>私個人は平松邦夫前市長を応援していたので、たいへん残念な結果でした。同時に、日本はかなり危機的な水城に入りつつあるという印象を持ちました。
-特に「橋下人気」なるものについてお伺いしたいのですが、橋下氏を支持した有権者は社会的にどのような層であるとお考えですか。
<内田>2005年の小泉首相による「郵政選挙」と同じように、社会格差の拡大、雇用環境の劣化、消費の冷え込みといった経済的状況にいちばん苦しんでいる層が、政策の適否についての内容的な吟味はさておき、「とにかく早く、劇的な変化を」と、望んだのだ思います。
-おっしゃるように「橋下人気」に躍った有権者たちは、必ずしも「政策」や「公約」に関心を示したり、それを投票の際の判断材料にしたとは思えないのですけれど。
<内田>選挙中、橋下氏や「維新の会」の候補者が繰り返し口にされたのは、「大阪には元気がない」「閉塞感が大阪を覆っている」Iというセンテンスでした。しかし誰もが口にしたにもかかわらず、「元気」とは何か、「閉塞感」とは何か、について吟味したメディアも政治家もいませんでした。
でも、よく考えれば、いま世界のどこにも「元気な街」などというものは存在しません。「閉塞感」はアメリカも中国もEU(欧州連合)もロシアも、世界のすべての国を覆い尽くしています。
それは、経済のグローバル化による富の偏在と、貧困層の絶対的な拡大、そして、複雑な経済ネットワークに絡め取られたために、自分の努力とそれに対する報酬のあいだに相関関係が失われていることの複合的な結果として現象した「時代の気分」そのものです。
-背景に、グローバリズムの問題があるということですね。
<内田>この選挙で「維新の会」が掲げた政策は、大阪都構想による行政の効率化にしても、市職員組織、教員組織の能力主義的・上意下達的再編にしても、基本的にはグローバル化を推進するものです。ですから、グローバル経済がもたらした問題をさらなるグローバル化で解決するということは、原理的にありえないだろうと私は思います。
◆「弱者」たちが求めたもの
-ただこうした有権者は、指摘された批判のみならず、選挙前に反対派が唱えた「ファシズム」や「独裁」の危機といった警告についても、ほとんど関心を示した形跡はありません。テレビからのイメージが大きな影響力を持ったという分析もありますが、それでは彼らに対しては、いかなるメッセージが有効なのでしょうか。
<内田>有権者がかりに今回は不適切な選択をしたにせよ、有権者が今の歴史的環境の中で苦しみを感じていることは事実です。いったいどういう歴史的原因によって、いまこのような事態になっているのか、それについて、有権者たちにちゃんと届く、筋の通った、説得力のある「説明」が必要だと私は思います。
行政の非効率や学力の低下は、ある歴史的条件のもたらした「結果」であって、「原因」ではありません。
-しかしどうひいき目に見ても、橋下氏が府知事時代に弱者に配慮した政策を実行したと評価することはできません。本来苦しんでいるはずのそうした層に、今回の選挙で橋下氏の支持者が多かったと聞いています。これは、どのように分析されますか。
<内田>有権者は政策の内容を見て、その適否を吟味して投票したわけではありません。「社会を変える」という言葉に期待を託したのです。それは、さしあたり「特権にあぐらをかいていた既得権益の受益者」たちの「弱者化」というかたちのスペクタクルとして、有権者の前に差し出されるでしょう。
市職員や教員たちがその「特権」なるものを奪われて右往左往するさまを見る「嗜虐的な愉楽」だけは、まちがいなく新しい二人の首長たちが「弱者」たちに提供してくれるものです。
-「嗜虐的な愉楽」ですか。
<内田>自分には何かの利得が約束されているわけではないが、誰かが利得を失うことだけは確実である。「苦しむ者にとりあえず何の救いももたらしはしないが、苦しむ者の頭数だけは増える」という政策に有権者たちは支持を与えたのです。
-こうした心理を抱く大阪府民・市民は、現在の状況下で、例外的な存在なのでしょうか。
<内田>例外的だとは思いません。「とにかく変化を」、というかたちで既成秩序を探くその意味を吟味しないままに「既成秩序である」というだけの理由で打ち壊そうとする動きは(政治運動としての成否は別として)これから日本中で見られることになるでしょう。
◆日本の悲劇とは
-今回の選挙で示された有権者の投票行動は、今後の日本の政治のあり方にどのような影響を与える可能性があるのでしょうか。
<内田>既成政党は、この潮目の変化を読み取れていません。「次の選挙の票目当て」ということになれば、どの政党も「既成秩序をぶっ壊せ」というかけ声と「大盤振る舞い」にすがりつくことになるでしょう。でも、それが有権者にアピールするとは思えません。
有権者がほんとうに望んでいるのは、実は「変化」ではありません。「いま、日本で何が起きているのか」についての、すとんと納得のゆく説明と、この危機的状況から脱出するために国民的な統合をなしとげる指南力のある「国家ヴィジョン」です。彼らは、どうしていいか教えて欲しいのです。
-有権者は、回答を待っていると。
<内田>でも、それを提示できるたけの雄渾(ゆうこん)な構想力をもった政治家も官僚も知識人も、今の日本にはいない。それが悲劇なのです。
-今後、橋下氏が掲げた大阪府の教育条例や公務員条例が可決されようとしています。民主主義にとって極めて重大な危機を迎えますが、これを阻止するに当たっては、当面、何が最も求められているとお考えですか。
<内田>大阪の教員には、条例可決阻止のために全力で抗議行動を起こして欲しいと思います。もし、多くの教員が内心では条例に反対のまま、政治的圧力に屈した場合どうなるか。面従腹背で上位者におもてむき迎合はするが、教育に対する意欲を失った虚無的な教員が急増することになるでしょう。
教員たちも不幸ですが、そのような教員に教えられる子どもたちはさらに不幸です。
2011年12月9日 「週刊金曜日」875号 22ページ「橋下徹氏を勝たせた『弱者』の心理」から引用
大阪の選挙と言われて思い出すのは、革新系の黒田氏が立候補したとき、対立する保守系支持者は「あいつはアカだ」という品の無い攻撃をしたことがありました。それに対して黒田氏は、ある時の立会演説会で「私はアカではありません。クロダと言ってるではありませんか」と言って満場を沸かせ、そのお陰かどうかは別として知事選に勝利した、ということがありました。その時の革新府政が、それなりの結果を出していれば、こんなことにはならなかったハズですが、当時の革新勢力に充分な力がなかったことは否定できません。その後、大阪の有権者は芸能人を知事にしたこともありましたが、今回はその延長線上に橋下氏が登場したということです。橋下氏と市長の座を争った平松氏側は、共産党が独自候補を引っ込めて平松氏側を応援するという作戦を取ったのは良かったと思いますが、橋下氏の言葉尻をとらえて「彼はファシストだ」と言ってみても、有権者には、単に揚げ足取りをしているだけという印象を与えたのではないかと、私は思います。もっと、橋下氏の政策が大阪府民にどのように有害であるかを、分かりやすく説明する必要があったのではないでしょうか。いずれにしても、今後大阪の民主主義を護る闘いは重要であると思います。