|
カテゴリ:料理
書き込みいただき、ありがとうございます☆
コメントいたしますね♪ お祝いのメッセージ・お便りもありがとうございます☆☆☆ >「海外生活15年、、そんなに長くいらっしゃすのですね! となると日本が故郷との感覚は薄いのではないでしょうか? 無事で過ごされているのだからほんとにすごいです。」 ・・・そうなのです~。 私は、もう海外生活が15年過ぎました。 留学でスペイン上陸したのが、1996年11月25日なので。 15年間というと長い印象ですが、私にとっては、あっという間に感じました。とても充実した15年間でしたので、時間が過ぎるのが早すぎました~。 5年くらい経ったかな~?という感覚でした。 無事に過ごせて充実できたのは、海外に住むお導きが宿命だったからだと思います。 最初の6年間で、絵画学校のカリキュラムを全て終了したし、語学のスペイン語も極めたから、もうスペインで学ぶことは学びつくしたな~と思っていました。 それから、スペイン以外に、できればニューヨークに引っ越して住みたいな~となんとなく思っていました。 途中、スペイン在住6年後の2002年の夏頃、スペインから短期の旅行でニューヨークに3ヶ月間滞在しました。 その3ヶ月間は自費で問題なくニューヨークで過ごせたので、こういうふうに自分のお金でやりくりが出来るのなら引っ越しても構わないかな???と大胆にも思っていました。 ”やっていけそうかな~?”と考えて、その年の10月に日本でアメリカに住むビザを無事に取りました。 そして、その10月中にニューヨークへ引っ越しました。スペインの自宅は残したままで。 つまり、ニューヨークに引っ越してもしばらくの間は、スペインの自宅も持ったまま、日本(東京)、スペイン(マヨルカ)、アメリカ(ニューヨーク)の3カ国間に拠点があったのですよ。 この時期は行ったり来たり、やりくりが大変でしたね~。 海外に別荘を持つのは大変なことなのだな~とつくづく思いました。 当時はまだ、ニューヨークでの仕事はスローでしたし、自由時間がたくさんあって暇もあったから、東京・マヨルカ・ニューヨークと三箇所を行ったり来たりすることができていたのです。 それが、だんだんニューヨークでの仕事が忙しくなってきたので、3カ国間で行ったり来たりする暇が無くなり、ニューヨークからなかなか身動きが取れなくなっていきました~。 しょっちゅうは長期の旅行でニューヨークを留守にすることができなくなっていったのです。 それで、スペインの自宅をキープするのをやめました。スペインに行く時は、6部屋寝室がある豪邸の友人宅に滞在させてもらえることになりました。だだっ広くて空き部屋(ゲストルーム)が余っているので、ここなら迷惑にならないな~と思います。 スペインのオスタルは長期滞在だと安上がりなので、それも快適で良いです。 それからは私は、年に2ヶ月間~2ヵ月半ほど、長期で、仕事も兼ねて東京へ滞在するのが関の山な状態が続きました。 それが1年でニューヨークを留守にできる期間の限界ですね~。 もう東京に拠点を置いてないので、今後は日本にもし一時帰国するとしても、大阪滞在になるだろうと思います。 (今年2月までは東京の拠点もキープしていたのですがね~~~。後で考えて恐ろしくなりましたが、偶然にも、3月以降の東京も含めた放射能汚染の前までで、うちは東京拠点を終了してたのです。この、時期の一致は、神からのお導きだったのだろうなと、感じています。ギリギリ2月までって、ああた、ピッタリ当たりすぎ~!ヒ~!と思いました。) ですから、今まで、東京に滞在中に、できるだけジュエリーのお客様にお会いしてお茶&お話することが出来たことや、出版社の編集者の方々に何度もお会いできたことや、私の本を販売してくださっていた書店を訪ねてお会いできたことや、プチ講演会や著者を囲むお茶会ができたことや、関東の友人知人にお会いできたことは、とても良かったな~!と思います。 出来るときに出来ることをやっておけてよかったな~!とつくづく思います。 東京は今、放射能汚染がひどいので、今後はなかなか滞在しないだろうと思います。 自分の祖国である日本が、長く滞在した東京までもが放射能汚染されてしまった現在は、そのビフォー・アフターで、複雑な心境です。 でも、海外生活が15年過ぎても、私の故郷は日本だという感覚があります。放射能から逃れてきても、やっぱり私は日本人なのです。 3ヶ国語(英、西、日)を話しますが、私はやっぱり日本語の表現が一番しっくりきます。 故郷は、私の生まれ育った宝塚で、六甲山のふもとだという感覚です。幼馴染もみんな宝塚。実家は今も、宝塚にあります。 (反原発の活動をしている俳優の山本太郎さんも、宝塚出身ですね。故・中島らもさんもそうです。手塚治虫さん、遠藤周作さんもその近辺だったように記憶してます。山本太郎さんの活動を見ていて、”ああいう方って宝塚から出そうだな~”とつくづく思います。) ちなみにうちの両親は関東出身です。でも彼らの本能で、「絶対に東京に住みたくないから東京で仕事しないでいいように、関西圏に住めるように仕事もそれに合わせる。関西に住みたい。長男じゃないから出来る。」という信念を結婚前から強く持っていたそうです。それで宝塚に家を探したそうです。彼らは、放射能汚染とか、結果的に図星だったのですね。彼らの本能が当たってたからビックリです。 ですから私の霊能力は、この家系のDNAの遺伝なのです。 東京は長く滞在しましたけれども、故郷という感覚は無いですね~。東京は仮の宿といった感覚です。 ニューヨークと同じ感覚。 ニューヨークも私にとって、仮の宿という感覚なのです。人生で、仕事をしに来る場所です。一生は住まないな~と思います。ゴミゴミしているし空気は汚いし、人々は時間に追われているし、ニューヨークの住み心地は悪いですよ~。 スペインは、6年間滞在しただけですが、若い時期でしたし友達もたくさんできたし、たくさんのものを学ばせていただいて成長させてくれたので、第二の故郷という感覚が強いです。晩年は、また戻ってスペインに、次はバルセロナに住むのじゃないかな~と思います。(←バルセロナは外国に行き来しやすくて便利だから。) スペインとスペイン人とスペイン料理&地中海料理は、私の性質に(&私の家族にも)とても合っているのです。 住み心地がとっても良いのです。 私から見れば、スペイン人の生活レベルはとても高くて、食事も良くて、気候も良いし、時間もゆっくりたっぷり流れていて、生活に追われていないし、みんな好きなことをやっているし、贅沢です。 (←スペイン語本にも書きましたけれども。) 私の家では、家庭料理で日本食が人気なくて、第一人気が「スペイン料理」&「地中海料理」なのです。 日本食があまり人気無い家なのです。 おかしいでしょう???日本人なのに。。。 (実家の母親も昔から料理好きで、私が小学生の頃でも、あの時代から、ギリシャの「ムサカ」が家庭の人気メニューだったのです。) うちで、 「何が食べたい?」と聞いても、 「スペシャル地中海サラダ!」(毎日。)とか、 「カルド!」(スペイン料理。冬はほぼ毎日作ってます。)とか、 「パエーリャ!!!」とか、 「ボカディーリョ!」「パン・コン・トマテ!」(朝食)とか、 「パスタ!」(イタリアン。)とかばっかり、言われます。 「肉じゃが作ってみようか?」とか、 「サトイモの煮っころがしは?」とか、 「煮魚は?」とか言ってみると、 「嫌い~!食べたくない。」と言われます。。。 魚料理が人気なくて、「魚介類は一生食べられなくても生きていける」と、昔から言ってましたね~。これは、魚介類が放射能汚染になる前から、そういう性質でした。 私も日本食を作れないことないのですが、家庭では地中海料理ばかり人気があるのです。 そういう理由もあって、うちは老後はスペイン在住に決定なのですよ。 食事が合っている場所、食材が安くて豊富にあって飢えることが無い場所、時間がゆったりして自然に恵まれた所が良いな~と思うので。 うちは晩年は、日本には住まないのじゃないかな~? そして、スペインは、過去に歴史的に、どこの地域も「飢えた経験が無い」そうで、食糧難になって飢え死にした人々がいない国なのですよ。 どんなに戦争などで貧しい時期があったとしても、玉ネギとじゃがいもだけはたくさんあったそうです。 農業国だし、太古の昔から、スペインには食べ物が豊富にあって、食材はタダ同然のお値段なのです。 だから今後、スペイン経済がさらに悪化しても、もしデフォルトしたとしても、彼らは食べるものだけは困ることが無いのですよ。 食糧自給率が低い日本人の私から見れば、スペインはいいな~、うらやましいなあ~引っ越したいなあと思ったものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[料理] カテゴリの最新記事
|