カテゴリ:夢有無有
「歴史を変えた女(ヒト)」趙姫
春秋時代の中国は、最も商人に活躍の場が与えられていたとも云える時代です。春秋戦国の各国の領土は広く、個々の国で仕入れ別国に運び売り、その別国の物をまた仕入れ他国で売りさばくと云った、現在で言う処の多国間貿易を担っていたいた一人に呂不韋がいます。呂不韋は「奇貨置くべし」で有名な秦の子楚に眼を付け大枚の財を投資して、凡庸な子楚に、好みそうな我が妾で、捨て去っていた坂場の透衣の舞姫を娶わせます。其の前に、呂不韋の三十年の計(己が種を趙姫に仕込む。)がなされます。そうして自分の子を腹持ったことを確信してから子楚に趙姫を献上し、秦に赴きます。 その後秦王は病滅、継いだ太子も病弱ゆえの早死に、太后華陽に呂不韋が大枚を使って養子に差し出していた子楚が秦王の座に就きます。後、趙姫は無事に政(のちの始皇帝)を産みます。政が秦王となったのちも、呂不韋に付き纏い素行が収まらず事の発覚を恐れた呂不韋は或る意味女性の喜ぶ体質を持つロウ毒(ろうあい)を宦官と称して宮中に入れ、房事を満足させます。其の後、趙姫は二人の子を密かに儲けます。ところがロウ毒が酒を溢した侍女を殊の外きつく折檻した為、侍女が二人の仲を訴え出て、密事が洩れてしまい、ロウ毒は秦王に誅され、また二人の子も処刑されます。彼女は雍に移されますが、呂不韋の失脚と自殺の入れ代わりに、再び咸陽に呼び戻されました ところで、趙姫の名前の由来ですが、彼女本人が趙の出身であるとか、趙氏であるとかいう意味ではなく、婚家の秦の姓のほうが趙氏なので、後世の史称にすぎません。何れにしても、呂不韋の才覚と趙姫の容貌を受け継いだ政が現在の中国の国土に匹敵する統一絶対国家を成し遂げたのは偉大と言わざるを得ません。そして趙姫は自ら計画した事でないにしてもその美貌と舞いで世界史上稀な絶対君主を育てあげたことは評価に値します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年02月25日 06時33分58秒
コメント(0) | コメントを書く |
|