「仏教」仏典の鬼(日本霊異記)
日本に於ける鬼の系統は、一つは古代の知識階級が持っていた仏典などに基礎をなす鬼で、閻魔王の配下で地獄で働くのを常とします。ところで「日本霊異記」など仏教説話に登場して来る鬼は、閻魔配下である鬼ではありますが、人間の姿をして現れ、人間の言葉を喋りますが、閻魔王の鬼使として此の世に現れ出でて彼の世へ人間を連れ行く役目を負っています。例えば、楢磐嶋(ならのいわしま)と云う人が、船で交易する旅の途中に急の病を患い、馬に乗り換えて帰りを急いでいると、三人の男が後からついてきます。暫くすると並んで歩き出し、磐嶋が何処へ行くのか尋ねると「我々は閻魔王の使者で、楢磐嶋を迎えに行く」と言います。そこで磐嶋は、地獄の沙汰も金次第と、私がその磐嶋だと名乗って交渉に入り、牛が好きだという鬼に、自分の牛を提供し、供養の経文を読むことを約し助かります。
日本に於ける鬼の系統のもう一方は、大江山の鬼、羅生門の鬼、安倍晴明で有名な京都戻り橋の鬼などの鬼が有りますが、これ等は地獄の獄卒と云われる鬼ではなく、人の心の執念や悪心の凝って悪鬼となった者もあり、鬼の出自も複雑化しています。更には、郷土芸能や祭に現れる鬼などは、親しみさえ持たれ、神に近い印象で、全く暗さがありません。日本の芸能文化は鬼なくして語れないと云っても言い過ぎではないでしょう。