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CAPTAINの航海日記

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2016.02.12
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テーマ:高校受験(1058)
カテゴリ:マヌケな昔話
以前にもこの日記で書いたと思うのですが、私がかつて住んでいた仙台市宮城野区東部、仙石線沿線に位置する高砂地区の高校受験をめぐる環境って、私が受験生だった1980年代半ばと今とではだいぶ違うな~と思います。大雑把な差異としては、

◎県立高校の普通科に学区が敷かれており、高砂地区は基本的に仙台北学区の高校しか受験できなかった(ただし、女子に関しては、仙台南学区の宮城二女(現・仙台二華)、宮城三女(現・仙台三桜)は受験可能だった)
◎県立高校のうち、いわゆるナンバースクール(=進学校。高砂地区から受験可能だった高校は仙台二、仙台三、宮城一女(現・宮城一)、宮城二女)はすべて男女別学。また、塩竈市内にあった塩釜、塩釜女も別学(両校は2010年統合し、共学校に)だった他、仙台市立の仙台商、仙台女子商の両商業高校も別学(こちらも2009年統合し、共学校に)
◎私立高校はすべて男女別学(仙台育英が名目上共学校だったものの、外国語コースが女子のみ、その他のコースが男子のみの募集だった)
◎現在のように私立高校の特進コースが充実しておらず(仙台育英のみ設置)、ナンバースクールの滑り止めとなる高校がほぼ固定されていた。具体的には、男子=東北学院、東北学院榴ヶ岡、仙台育英学園(特進コースのみ)。女子=宮城学院、仙台白百合学園
◎仙台市の地下鉄は未開業
◎スクールバスを運行している私立高校は皆無

が挙げられます。要は、行ける学校の選択肢が今よりもだいぶ少なかったんですね。
具体例で言うと、今高砂地区にある宮城野高校(1995年開校)のような「ナンバースクールほどレベルが高くはないけれど、大学進学を前提としたカリキュラムを組んでいる高校」が、身近にありませんでした。強いて言えば泉館山や泉の受験は可能だったのですが、高砂地区からだと通学手段が「仙石線⇒仙台駅でバスに乗り換え」となってしまい時間も金もかかるので、敬遠する傾向が強かった次第。だもんで、ナンバースクールないしはその滑り止めの私立高校への合格が厳しい生徒は、いずれも共学校の多賀城か市立仙台のどちらかを受験する傾向がありました。現在では両校ともそこそこの進学実績を残していますが、当時の多賀城は成績上位層こそ東北学院大学クラスの大学に合格実績があった一方で専門学校進学や就職組も少なくなかったし、市立仙台は就職組は殆どいなかったと思うのですが進学実績はせいぜい東北福祉大クラスが関の山。今でこそ東北福祉大は偏差値面で東北学院大に比肩するレベルになっていますが、当時はまだ野球部が強いだけで今で言うFラン大学のような扱いを受けていました。そうそう、高専(当時は仙台高専の名取キャンパスが宮城高専、広瀬キャンパスが仙台電波高専と別々の学校だった。2009年統合)という選択肢も、あるにはありました。ただし、当時の高専には専攻科が設置されていなかったので、5年間学んだらあとは就職というのが基本線でしたけど。
あと、泉区(あ、当時は泉市でした)内の高校への通学手段でも触れましたが、基本的に、電車の最寄駅から徒歩で通えない高校は避ける傾向にありました。例外は、県立では共学校の利府、私立では男子校の電子工(現・仙台城南)ぐらいでしょうか。偏差値的に言うと利府は塩釜、塩釜女よりやや上、電子工は東北、仙台育英よりやや上という立ち位置だったのですが、塩釜、塩釜女子、東北、仙台育英の4校はいわゆるヤンキーの割合が他校よりも高かったので、交通費を犠牲にしてでも敬遠したかったのかな~と思ったりもします。反面、電車で通えれば仙台駅を越えて仙山線沿線にある市立仙台や仙台女子商(いずれも当時の最寄駅は国見(東北福祉大前駅は未開業))。なお、仙台女子商は2009年に廃校(仙台商が共学校として存続))、更には当時は仙台市外(宮城郡宮城町)だった共学校の宮城広瀬(最寄駅は陸前落合)まで長距離通学するケースもあった他、仙石線の駅から強引に歩いて通学するケースもありましたね。仙台三高まで通うのに陸前原ノ町駅から歩いたり聖ウルスラ学院(現・聖ウルスラ学院英智)まで通うのに榴ヶ岡駅から歩いたりなんて、恐らく高砂地区独特の通学方法ではなかったかと思います。
そんな通学哲学(?)を有していたから、私立高校の進学先も、自ずと電車と徒歩のみで通える高校に集約される傾向がありました。具体的に言うと、こんな具合。

【男子】
偏差値上位…◎東北学院(当時の最寄駅は仙台)、仙台育英(特進コース)(最寄駅は宮城野原) ☓東北学院榴ヶ岡(当時は仙台駅からバス)
偏差値中位…◎電子工(仙台駅からバス。ここだけ例外的に進学者がいた)
偏差値下位…◎仙台育英(特進及び外国語コースを除く)(当時の最寄駅は宮城野原(一部中野栄)) ☓東北(当時は仙台駅からバス(東照宮駅は未開業))
【女子】
偏差値上位…◎仙台白百合学園(当時の最寄駅は仙台) ☓宮城学院(仙台駅からバス)
偏差値中位…◎仙台育英(外国語コース)(最寄駅は中野栄)、常盤木学園(最寄駅は仙台) △聖ウルスラ学院(最寄駅とは言い難いが榴ヶ岡駅から強引に徒歩通学) ☓尚絅女学院(現・尚絅学院)(仙台駅からバス)
偏差値下位…◎聖和学園(仙石線の最寄駅は宮城野原。当時は三神峯キャンパス未設置) ☓聖ドミニコ学院、朴沢女子(現・明成)、三島学園(現・東北生文大)(いずれも当時は仙台駅からバス)

でも、基本的に高校受験は「公立本命、私立はあくまで滑り止め」のスタイルだったので、偏差値的にランクの低い高校を受験する安全志向もまま見られました。特に、ナンバースクールに行けそうな生徒が多賀城あたりを受験するケースに接し「もったいないなぁ」と思った記憶があります。先ほど多賀城と市立仙台の比較で成績上位層は「多賀城>市立仙台」と匂わせる文章を書きましたけど、実はこういう事情があったのです。せめて地下鉄南北線(1987年開業)がもう少し早く開業していたら泉への進学も視野に入ったことだろうし、学区が南北で分かれていなければ仙台南にだって行けたのですが…
あと、進学可能な共学校も極端に少なかったですね。先述の市立仙台、多賀城、利府、宮城広瀬に加え、松島や宮城農があった程度でしょうか。宮城高専、仙台電波高専、宮城工、仙台工といった工業系の学校は名目上共学でしたがほぼ生徒は男子(ただし、宮城工のインテリア科に限っては大半が女子)だったし、ちょうど私の世代の受験時に開校し高砂地区からも受験が可能だった仙台東の英語科も大半が女子。逆に今は公立高校は全部共学化されてしまったから、まさに隔世の感がありますね。


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Last updated  2016.02.12 20:18:11
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