|
カテゴリ:列島紀行 その他の山系
暑さの和らぎを感じ始めてから時は瞬く間に過ぎて、 もういつ雪が降ってもおかしくない3000m峰には、 アイゼンもなく出かけるのがこわい季節になってきた。 そこで、この秋のターゲットはもう低山に移し、 関西の山岳ガイドブックを買い、比良山系やら鈴鹿山系やらの地図を買って、 ルートをいくつかピックアップした。 スカッと晴れた日があれば行きたいなぁなんて思いながら、 空いた日が近づくとしきりに天気予報サイトを覗くものの、 生憎ぐずついた天気にばかり巡り合わせてしまい、なかなか行く機会がない。 そんなふうに窺っているうちに1ヶ月以上が経ち、それでも山のなかに行きたくて、 10月に入ったある日の雨の上がったお昼近く、 空は厚い雲に覆われたままだったけれど、半ば強引に蓬莱山に出かけた。 頂上まで行かずとも、たとえ数時間でもいいから山のなかを歩きたかった。 琵琶湖の西側に連なる山々・比良山系、そのひとつである蓬莱山。 関西の低山を登るハイカーのあいだでは、比良は、人気の山系のひとつである。 麓に着くと、やはり山頂付近は灰色の雲にすっぽりと覆われていた。 昼からの山行ではもちろん頂上まで行く時間もないから、 引き返す時間だけを決めて、山のなかに入ってゆくことにした。 30分も歩くと街の喧騒は聴こえなくなり、 森特有の静寂のなかにひとり身をおくことができる。 木々のなかを丁寧に息をしながら、ゆっくりと一定のペースで歩を進める。 子供のころ家の裏山に生えていた小さな花が咲いているのを見つけて、懐かしく思った。 俺の故郷とこのあたりは、植生の分布が重なる部分も多いのだろう。 子供のころ住んでいたのは、もともとは山の斜面であったのを切り開いて造成した、 住宅団地のようなところだった。 その階段状の団地を一番奥まで上がって行くと、そこから先は本来の山であって、 その森の中は、俺の遊び場のひとつであった。 まだ見ぬ地球の表情を求め、さまざまな植生のトレッキングコースを歩いたけれど、 温帯低山の森林をこうして味わうのも、懐かしくも、また新鮮な感じがした。 この前行った乗鞍岳で、俺の世界に対する感じ方は、少しだけれど、 だがまるで覚醒するようにはっきりと変わるのを感じた。 大胆な進化を図り、地球の片隅にまで進出した高山植物の姿をじっと眺めていて、 植物に今までないほど意思のようなものを感じた。 地球中に拡散し、脈々と繰り広げる植物種の営みというものが、 動物と同じような、能動的で激しい躍動感をもって俺に迫ってきたのだ。 地球中の植物はこんなにも激しくざわめいていたのだと感じた。 植物がうにゃうにゃと表面を覆う地球は、なんて賑やかな惑星だと思った。 ほんとうに。 もちろんそれは、乗鞍岳のせいだけではない。 それは臨界点に達するひとつの契機であって、 いままで俺が見てきたさまざまな大自然のシーンが俺のなかに積み重なって、 そんなふうに感じるようになったのだと思う。 日本列島一周にしたって北米大陸一周にしたって、 その目的の大半は、地球の大自然のその多様性との邂逅である。 それらを経ていま俺のなかには、 多くの自然の光景が血肉のように存在している。 そして同時に、地球の歴史に何が起こったのかを学び、 いかにして世界が目の前の光景に至ったのかを知り、 かつてそこにあったシーンをいくつも追想する。 それらすべてが俺の中で交錯し、それらを感じながら、 俺は眼前の世界に視線を向けている。 今はどんな小さな植物を見ても、その多様性や進化の過程に感嘆してしまう。 いや、それは植物だけではない。 地球にあるどんな光景を見ても、 46億年という時のなかでうねったこの惑星のダイナミズムを感じるのだ。 いま俺は、この地球に感嘆しながら生きている。 (注) 掲載したすべての写真および文章の著作権は、 私chikyuujinにあり、一切の転用を禁止します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.11.21 11:00:04
コメント(0) | コメントを書く |