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テーマ:四十代・五十代を考える(44)
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こん◯◯は!!ちょうさんですぞね。
何人かの方からご質問がありましたので・・。それのお答えになるのかならないのかわかりませんが・・書いてみます。本当はいままでたくさん書いている日記とかブログにすでに書かれていることなので、そういう目で見ていればご理解できることなのでしょうけど・・。ご質問されている方のこころが別のところを見ているのかもしれませんね。 「我慢」「犠牲」 我慢することはあります。我慢しなければいけないときもあります。 生きていれば、社会の中で生きていればあるとおもいます。 わたしの場合は馬鹿がつくほどお人好しなので数限りなく不法な暴力とかにもあいましたけど・・、けがをした時も自分のこころにおさめたものもたくさんあります・・。 わたしは意味のない我慢はしたくないし、しません。(と・・おもうちょりまする。) 形・・傍から見ると同じであっても 中身はぜんぜん違うのです。 自分がわるければ当然どんなことをされても覚悟しているかぎりは命をおとされないかぎり我慢する場合もあります・・。 我慢というか 犠牲になって自分をころしてひたすら時間の過ぎるのを待つ・・。泣いている女性たちにおおく見られます。 これでもかこれでもかと旦那や仕事やいろんなことで苦しめられても影で生きる気力も萎えるほど そして 死にたいとも思いながらも自分だけが我慢したら、丸く収まると何年も何十年も我慢されている人たちがいます。 そんな人達がどうしようもなくなって、こころの叫びを突如だして・・。それがわたしのこころに響いて、なにかのお手伝いをすることがあります。ただ、話を聞くだけが多いのですが・・。なかにはわたしの分かる範囲での小さな何かのきっかけのお話をすることがあります。それで 彼女たちが少しでも笑顔が戻ってくればそれでいいのです。 何十年も我慢して、あなたになにが残ったのですか・・。それをご自分に問いかけてください。そして、それであなたは幸せになれたのでしょうか・・。あなたが犠牲になって毎晩柱の影で目が真っ赤になるほどないて、あなたが人生を終えようとするとき幸せな人生だっと思えるのでしょうか・・。自信をもってそう言えるのなら、なにもいうことはありません。 折角、あなたの人生なのですから、ご自分のために ご自分のこころに素直に生きていくことをしないと・・。だれかに踊らされていきていたり、誰かのいいなりになって 流されていきてみても・・。人生は一度だけです。 そういう今の暮らしにしてきたのは だれあろう・・あなたなのです・ だれかのせいではなくて、あなた自身なのです。ご自分のその時その時の決断で今があるのです。 我慢している・・・。我慢しなくていいのなら誰だってしたくない・・。 ということは我慢したくないということなのです。したくない我慢をしいているのは まわりまわってご自分なのです。 親がどうとか、だんながどうとか、仕事がどうとか、いろんなことがあります。我慢ではなくて 流されてきたり、そのときにきっちりと判断して行動しなければいけないことをなおざりにしてそのままいまにしているのではないのですか・・。 人は我慢しても こころは前向きな気持でいないとこころがしんじゃいます。できないから。むつかしいから、聞いてくれないことはわかっているから・・。で、何十年おんなじことを繰り返してるのですか・・。 ご自分が命がけで生きていくこと決めたら、覚悟をきめて 物事にあたり、その時点時点で決断をしていけば・・・。時間はかかっても少しでもよくなることがあります。それをしないで・・したかもわかりませんが・・あきらめたらそれはその時でおわりなのです・・。 未来のない我慢は ただの犠牲的なもので涙しか生みません・・。ご自分のこころがこわれるのをまっているのとおんなじなのです。 きちんと未来に向けてこうする、こうしたいから・・こうします・・。まわりに向けて宣言して いまからでも新しく生きていけるのです。 自分勝手ということではなくて、ご自分らしい生き方をしないとね。そして、心がこわれてしまってからではおそいのですよ・・。 そう言うと、自分のわがままで まわりを傷つけていいのでしょうかとご心配されるかもね。そう、本当にお思いならしなければいいですよね。いままでもどんなにあなたは辛い仕打ちをうけてきたのかはあなたご本人が一番お分かりだと思います。それは わがままではないとおもいます。いままでしてこなかった事のつけなのかもしれません。 あなたが我慢して自分をころしていきてきたのに子供さんはどうですか・・。だんなさんはあなたのことをわかってくれているのですか・・。親御さんたちは・・・。 あなたがどうこれからいきていくのかはあなたが決めることなのです・・。わたしが決めることではありません・・。 あなたが今まで子供の頃からどういきてきたのか、そして それでどうなったのか・・。あなたか一番わかっているのだとおもいます。 あなたにとっての壁になる人たちが天国なり地獄なりにいくまで待つのもひとつの方法かもしれません・・。ただ、あなたはこのままでいいのでしょうか・・。本当の意味でこころをかよいあわすことなく別れてしまっていいのかな・・。努力してだめならそれでよしですが・・。だめとあきらめていれば変わらない。すこしでも分かり合える部分ができればうれしいとおもいますよ・・。いつまで生きられるのかはだれにもわからないのです。今、後悔しないように生きるには出来ることを今からでもしていかないと・・。時間がないかもしれない・・。それはあなたが今までしてこなかったから・・がひとつの要因でもあるのです・・。 我慢していもいい。身になるがまんをしないと・・つらいですよね。 人は 石とか 物ではないですよね。こころがあるのですから・・・こころを大切にいきていかないと・・ね。 あなたは幸せになる権利もあるし・・そのために生きていく義務もあるのだとおもいます。それは人が生まれた時から負わされた何かの一つだと思います。 今のままで・・いいんだよ・・。というのは 簡単ですけど・・。わたしは たくさんのないているひとたちを見てきたのでそれは言えないですね。 犠牲になることは幸せになることではないのです・・。幸せになるためのひとつに我慢とか頑張りは大切でしょうけど・・。自分を殺してしまって・・それでだれかが幸せになってもしあわせとは言えないだろうし・・。そんな幸せ・・もどきは 簡単にくずれちまうよね。 心だけでも幸せになれるようになるといいよね・・。そのためには 怖がらずに戦わないと・・ね。まっていても幸せにはなれないですよ・・。 ひとは だれにも迷惑をかけずにはいきていけないものです・・。あなただけが苦しんでいる必要も義務もありません・・。ご自分のためにいきることをもうすこし考えてみるといいですね・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
以前ある方に頑張るのはいいけど我慢はよくないと書いたことがあります。
ちょっと違うかなと思いだしました。 よくないのは、我慢でなく犠牲です。 頑張るのも我慢も時には必要、でも犠牲になってはいけない…ですね。 意見の違う者同士がいたら、どこかで折り合いをつけて調和を図らなきゃならないと思います。 自分の意見をお互いが言い続けていてはケンカや戦いしか起こりません。 『人との調和』は私の気持ちの中で大きな意味を持っています。 調和を取るためには、それぞれ譲り合い、折り合うところを探すことになります。 自分の我が通らなければ、我慢しなければならないこともあると思います。 それは我慢であって、犠牲でないと考えます。 実になる我慢をしなさいと言ってくれましたね。 人は一人では生きていけないのですから、人との調和を図ることは実になる我慢だろうと思います。 実らせなければならないと思います。 私が抱えている件で小さな実がつきました。 少し前進できているのかもしれません。 (2009.12.23 20:16:52)
アンさん、どうも・・。
アンさんのいいたいところは・・よくわかりませんが・・。 わたしはおさないころ・・二歳から戦ってきましたけど・・。暴力とかおさえこまれることには ものすごい・・嫌な部分が部分があります。そんな毎日でしたので・・。喧嘩とか争いごとは嫌いです。ただ、人には戦わないといけない時があります。 正義のためとか大切な人の為とかにはいのちをかけててけも向きあわないといけませんよね。 そういうのが毎日だったのです。 ご自分の我をとうしてというはなしは わたしは最初からしていませんので・・論外です。そうではなくて 当然話すべきこと、当然生きている人たちが主張するべきことをただしく話す(相手に伝える)のは当然のことなのです・・。 それさえ我慢する・・いわないというのは生きていることを拒否している・・というのと似たようなものなのです。わたしはいきているんですよっと 声を出しましょう・・ねー。 その中で意見が違えば きちんと話しあえばいいのです・・。それが人・・親子であったら・・夫婦であったりカップルであったりなのでねー・・。 ルールの中できちんと話ができなければ いろんなところに助けてもらってただしい話し合いができるようにしないとね。 >私が抱えている件で小さな実がつきました。 >少し前進できているのかもしれません。 よかったねー・・。うんうん。 (2009.12.23 21:48:29)
> アンさんのいいたいところは・・よくわかりませんが・・。
> ごめんなさい。怒っていますか? 自分の考えがうまく表せません。 私の抱えている問題が、ちょうさんの戦いほど重いものでないことはわかっていただけますか? 生命の存続が危ぶまれ、身体の危機に迫るような重大な出来事でないと。 夕飯のおかずは肉にするか魚にするか程度の我だと思ってください。 私の抱えている問題と言うのはその程度のものです。 生きていることを拒否するとかそんな重い悩みでなく… 調和とか折り合いと言う言葉を使いましたが、その手段としての話し合いが私には十分でないのだと気づきました。 今うまくいったと感じていることも穏やかな気持ちで話をすることができたからです。 私がかたくなな気持ちで話していたらうまくいかなかったかもしれません。 結果は私の思い通りではありません。 思い通りでないところは我慢です。 それは双方納得の上でのことです。 > 自分の我が通らなければ、我慢しなければならないこともあると思います。 > それは我慢であって、犠牲でないと考えます。 > この一文は表現が悪かったです。 お互いが、歩み寄り、納得の上での我慢は犠牲でないと思います。 我慢したほうは納得していることが必要だし、相手のほうは折れてくれたほうを思いやる気持ちがいると思います。 お互いを理解しようと話もしていないことが大きな過ちだとわかりました。 書き足してもうまく表現できません。 ごめんなさい。 本当にごめんなさい。 (2009.12.23 22:48:36)
アンさん、どうも・・。
>ごめんなさい。怒っていますか? いえいえ、おこってませんけど・・。 はなしをあわしていたら どうも 的外れの方向に話がかわっていますねー・・。ごめんね。 あなたのいいたいことは わかりますけど・・。 どうなのかな・・。そんなに本当はかるいはなしではないのでしょうけど・・。そういうぐらいの話としてしときたいのでしたら・・それでいいとおもいます。 ただ、いいたいことはいっていかないと相手にはつたわりにくいし・・伝わらない場合もおおいというのは十分見にしみてお分かりだと思うので・・。そのときにきちんとはなしをしないとねって・・。それを言っているだけなんです・・。 あなたは それをそんなに重い話ではないとかわそうとしていますけど・・。悩み苦しみどうしようもなくなっているのですから・・。簡単な話ではないと思えるのですが・・。 簡単な話であれば今までけりがすでについているはずだろうし・・。 あなたのことなので ふれたくなければそれはそれでよし・・です・・。あなたがあなた達の中でみんなではなしあってどうされるか決めるべきものですから・・。 納得しているとおもっていたとしても こころがそうではないといっているのですよ・・。わたしには そうあなたのの声がきこえるのですけど・・。私の・・聞こえ間違いとということで おいときましょうね。 別にあなたを責めているわけでは全然なくて反対になんとかこころを軽くしたいという話なので・・。 (2009.12.24 00:13:35) |
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