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さて、いよいよの時、昭和16年(1941年)12月の昔に戻ります。 昭和16年(1941年)12月8日は、月曜日でした。私は登校のため、ラジオの朝のニュースを聴きながら、両親や兄姉と一緒に、朝ご飯を食べていました。 突然、ラジオの声が止まり、「ポンポンポンポンポンポンポンポンポンポンポンポン・・・・・・」と長い警報音を発しました。何事かと思うと、 「臨時ニュースを申し上げます、臨時ニュースを申し上げます。大本営発表、十二月八日午前六時。帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり。・・・繰り返して申し上げます・・・・・」 家族一同、みな驚きました。 アメリカ・イギリスとの戦争が始まった!! 大変な戦争になるぞ!! と、みな顔をこわばらせました。私は食事もそこそこに、急ぎ登校しました。 学校でも、朝礼の時間を長くとって、アメリカ・イギリスとの開戦、ハワイ空襲やマレー半島への敵前上陸などの戦況の通知のほか、不測の事態に備えて、各自が米を持参するように、との通達もありました。 対米英宣戦布告を告げる紙面 昼前には、天皇の対英米宣戦布告の詔書が渙発(かんぱつ)されました。東条内閣が出来たことで、少しは予感があったとはいえ、いよいよ来るべきものが来たのか、と身の引き締まる思いがしました。 日本の対英米宣戦布告に対して、アメリカ・イギリスも日本に宣戦布告しました。中華民国の蒋介石政権も、このときになって始めて、日本に宣戦布告しました。 議会で対日宣戦布告するアメリカのルーズベルト大統領 12月11日になって、ドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告し、いよいよ世界中が、第二次世界大戦の戦場となってゆきました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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