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昭和25年(1950年)、朝鮮戦争で、連合国軍が釜山周辺まで追い詰められていると報じられたときも、日本では緊迫感がさほど高くなかったと、前に書きました。 北朝鮮軍が朝鮮半島全土を占領しそうな気配もあったのですが、日本国内はむしろ明るい空気に包まれていたと思います。戦争での特需景気もあり、今にマッカーサーが何かするだろう、という気がしていました。 そのころ、底抜けに明るい歌謡曲が大ヒットしていました。「憧れのハワイ航路」です。この歌は昭和23年(1948年)に発表されていましたが、そのころはまだまだ暗い時代。それがこのころになって、商店街が復活し、レコード店が戻って来て、ロングヒットになりました。 晴れた空 そよぐ風 港出船の ドラの音たのし 別れテープを 笑顔で切れば のぞみ果てない 遥かな潮路 ああ 憧れの ハワイ航路・・・・・ (時雨音羽 編著 日本歌謡集 より引用) 憧れのハワイ航路 は YouTube で聴くことができます。 そして、この昭和25年(1950年)に「憧れのハワイ航路」が映画化され、歌が一段と流行りました。 映画「憧れのハワイ航路」のポスター 岡 晴夫 映画の主演は、これを歌った歌手の 岡 晴夫、相手役はまだ13歳の 美空ひばり。岡晴夫 は、このころ最も売れていた歌手で、声量も歌詞の明瞭度も抜群、人気絶頂でした。歌手の映画出演はほかにもありましたが、主演者になるのはまれなことでした。 「憧れのハワイ航路」の作詞は石本美由起(いしもと みゆき)、作曲は江口夜詩(えぐち よし)。江口夜詩は昭和の初めからの作曲家ですが、石本美由起はまだ新人の作詞家でした。 石本美由起は、この歌の大ヒットで広島県から東京に居を移し、以後、何人もの作曲家と組んで、多くの名曲を世に出して行きます。 当時、ハワイへ旅行するなど、日本の庶民にとっては、夢のまた夢。作詞者の石本美由起も、もちろん、それまでハワイへ行ったことがなく、瀬戸内海を通る船を見て、この詞を作ったそうです。 今の海外旅行は、ジェット機があたりまえですが、当時はまだ船の時代でした。東洋各地から日本を経由してハワイやアメリカへ行く航路に、昭和40年代まで、アメリカン・プレジデント・ラインの汽船が就航していました。 アメリカ・ハワイ航路のプレジデント・ウイルソン号 (こじ太郎氏のブログより借用) 昭和36年(1961年)、私は、人を見送りに神戸へ行き、この船に入ったことがあります。船内には、インド人や中国人が多く乗っていました。 私がハワイへ行くのは、この昭和25年(1950年)から25年後のことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちは~
この当時は、なかなか、海外へ行くのは、大変だったんですね! チューさんは、昭和50年にハワイへ行かれたんですね! 船の写真も、素敵です。 (2011年05月30日 12時12分12秒)
「堂々と公演 !! ~ 沖縄県立八重山農林高校・郷土芸能部 ~」に、上記の内容について
記載しました。 もしよろしかったらaccessしてみてください。 (2020年10月30日 14時50分13秒) |