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私の想い出ブログは、今日から、昭和29年(1954年)の出来事に入ります。今日のブログも、前回に続いて、映画の話題です。 昭和29年(1954年)4月、黒澤 明監督の映画 「七人の侍」が公開上映されました。上映時間、実に207分。3時間半にわたる大長編映画です。 「七人の侍」の上映ポスター 黒澤 明(出典 Wikipedia) 戦国時代を舞台とする時代劇ですが、侍(さむらい)と言っても、歴史上の有名武将の話ではありません。野武士の収奪に苦しむ農民が、7人の浪人を雇って、野武士集団を全滅させ、村を守りきるというストーリーです。 侍役の出演者は、統率者の島田勘兵衛役に志村喬、片山五郎兵衛役に稲葉義男、農民上がりの菊千代に三船敏郎、若い岡本勝四郎に木村功、凄腕(すごうで)の剣客・久蔵に宮口精二、勘兵衛の家来の七郎次に加東大介、剣の腕は劣るが、明るい人柄の林田平八に千秋 実。 七人の侍を演じた俳優たち 左から、三船敏郎・千秋実・志村喬(後ろ向き)・木村功・加東大介・宮口精二・稲葉義男 農民側の出演者には、村の長老に高堂国典、妻を野武士に盗られた若い百姓に土屋嘉男、年配の農民に小杉義男・藤原釜足・左木全、と、芸達者な人たちをそろえました。そして、紅一点、藤原釜足扮する万造の娘・志乃に、美人女優の対馬恵子。 そして、東野英治郎・山形勲・仲代達矢・宇津井健といったのちの名優が、セリフもない端役で出演しています。 さて、村に入った七人の侍は、島田勘兵衛の指図のもとに、麦刈りの終ったあと、村の出入り口を固めて要塞化し、まず先手を打って、野武士の住処(すみか)を焼き討ちします。しかし、ここで林田平八が落命。 そして、次々に村を襲撃する野武士を討ち取り、最後に降りしきる雨の中、総攻撃してきた頭目以下、すべての野武士を討ち取ります。しかし、この戦いの間に、七人の侍側も4人が落命します。生き残ったのは、勘兵衛・七郎次・勝四郎の3人でした。 安泰となった村で田植えが始まるなか、勘兵衛役の志村喬が「勝ったのはわしらではない、あの百姓たちだ」と七郎次に語るところで映画は終ります。 この映画で、艶っぽい話はほとんどなく、わずかに村娘・志乃が、勝四郎と恋仲になるシーンだけ。 この映画は、命と引き換えに持つ侍の誇りを、乱世に生きて行く厳しさと併せて描いたもの といえます。早坂文雄の音楽も、この映画を一段と引き立てています。 そして、私は、乱世であろうとなかろうと、この世に生きて食べてゆくことの厳しさ、自分に誇りを持てる仕事を仕上げることの大切さ、をこの映画から学びました。 映画 「七人の侍」 は、1954年度のヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を受賞しました。 「七人の侍」 を模して、外国でも 「荒野の七人」 などの作品が作られました。 私は 「七人の侍」 の前に、黒澤監督の映画 「わが青春に悔いなし」 「酔いどれ天使」 「生きる」 を観ています。どれも良い作品で、とくに 「生きる」 には、大きな感動を受けました。 「七人の侍」 のあとも、黒澤明は映画を作り続けますが、 「七人の侍」 に及ぶ作品はなかったと思います。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 今では、七人の侍 を演じた俳優たちは、みな故人となりました。一方、農民側の若者役をつとめた土屋嘉男と津島恵子は、二人とも80歳半ばで健在と聞いています。 私は今も、ときどき 「七人の侍」 をカセットで観て、若い日に受けた感動を新たにしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
こんにちは~
七人の侍は、黒澤明の傑作っていうので、有名ですね!! ただ、見た事がないです。 他作品で、”生きる”って映画、気になるので、ちょっと、検索してみます!! (2011年07月27日 10時45分08秒)
この映画を名画座で年始に見て、コロナ禍の今、生きることの難しさ、職業につく重要さ、リーダーの存在を再確認しました。
(2021年03月21日 23時13分29秒)
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