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2011年02月21日
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昭和20年(1945年)の11月から12月にかけて、政党の復活、結成が続きました。進歩党自由党社会党協同党共産党(正式名称は、いずれも頭に ”日本” が付きます)などです。


      戦後の政党


      町田忠治と鳩山一郎
              町田忠治             鳩山一郎(出典 Wikipedia) 
     
      片山哲と徳田球一   
          片山哲(出典 Wikipedia)        徳田球一(Time-AZより引用)

昭和21年(1946年)4月10日、新しい選挙法による衆議院議院総選挙が行なわれました。結果は、自由党141、進歩党94、社会党93、協同党14、共産党5 で、このうち女性議員が39名を占めました。

幣原喜重郎の与党・進歩党は第2党となり、昭和21年(1946年)4月22日幣原内閣は総辞職しました。このあと、総理大臣が決まらず、1ヶ月もの政治的空白が起こります。

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幣原喜重郎は、内閣総辞職後、次ぎの第一次吉田内閣で無任所大臣として入閣。昭和22年(1947年)の総選挙で衆議院議員に当選。日本進歩党総裁となり、その後民主自由党に参加して、衆議院議長を務めました。議長在任中に78歳で死去。

政党復活のころ、昭和20年(1945年)12月16日、元首相・公爵・近衛文麿が服毒自殺しました。

軍部にかつがれて総理大臣となり、その軍部を押さえることができず、戦争末期には、ソ連に米英との仲介を頼むという、愚かなことをやろうとして失敗。敗戦直後には、厚顔にも大臣を引き受けるなど、あまりにも世間知らずの人だったと思います。

この、奈良時代以前からの藤原氏本流の末裔(まつえい)、さすがに、最後は自分の戦争責任を悟って、虜囚となる前に自ら身を処しました。享年54歳。

  





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最終更新日  2011年02月21日 11時35分08秒
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