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昭和29年(1954年)8月になって、部屋で机に向かっていると、空けた窓から、にぎやかなお囃子(はやし)のような歌が聞こえてきました。 兄嫁に聞くと、横町で盆踊りをしていて、そのレコードの歌だというのです。それが歌手・春日八郎(かすが はちろう) の歌う 「お富さん」 でした。作詞は山崎 正、作曲は渡久地 政信です。 春日八郎 粋(いき)な黒塀 見越しの松に 仇(あだ)な姿の 洗い髪 死んだ筈だよ お富さん 生きていたとは お釈迦(しゃか)様でも 知らぬ仏の お富さん エーサオー 玄治店(げんやだな)・・・・・ (時雨音羽 編著 日本歌謡集 より引用) お富さん は YouTube で聴くことができます。 歌の題材は、歌舞伎の演目 「与話情浮名横櫛(よわなさけ うきなの よこぐし)」 から採ったものです。曲も単調な手拍子歌です。演歌でもブルースやルンバが流行る時期に、なぜこんな古い内容の歌を鳴らしているのかと思いました。 歌舞伎の演目「与話情浮名横櫛」の錦絵 横町へ見に行くと、道路の真ん中の台でレコードを鳴らしながら、その周りで 盆踊り をしていました。 盆踊り は本来農村のもので、「江州音頭(ごうしゅうおんど)」など、土地土地のリズミカルな民謡を歌いながら、やぐらの周囲を踊って回る、夏の娯楽です。 それが都会でも行なわれるようになって、戦前には、東京音頭 が大流行しました。東京音頭 による 盆踊りは、2010年4月26日の私のブログに書いています。 戦時色が強まった昭和10年代なかごろには、東京音頭 に代わって、農林省選定の「瑞穂(みずほ)踊り」が流行りましたが、これはもっぱら農村向けのものでした。 戦争がきびしくなると、盆踊り どころではなくなり、戦後も 盆踊り をするような余裕はありませんでした。 戦後すぐのころ、景気が良かった炭坑地帯では、「炭坑節」 で 盆踊り が流行ったところもあったそうですが、戦災と食糧難の 都会では、それどころではありませんでした。 昭和20年代の終わりごろになって、都会でも、町内そろって 盆踊り でもしようか、というようなゆとりができてきました。 都会の団地での盆踊り そこへ 春日八郎 の 「お富さん」 という、軽快でリズミカルな演歌が出ました。歌詞の内容はともかく、曲が 盆踊り歌 にぴったりだと採用され、歌の大ヒットにつながったのだと思います。 「お富さん」 は,始めは人気歌手の 岡晴夫 が歌う予定だったそうですが、岡晴夫 は、こんな古臭い歌、と嫌がったうえに、他のレコード会社に移籍したために、当時まだ新人歌手だった 春日八郎 が歌うことになったとのことです。 春日八郎 は長くヒット曲に恵まれず、それまでは「赤いランプの終列車」がヒットしただけでした。春日八郎 は 「お富さん」 の大ヒットから、「別れの一本杉」 「山の吊り橋」 「長崎の女」 などの大ヒットが続き、昭和30年代を代表する大歌手の道を進むことになります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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