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テーマ:映画から何かがはじまる(569)
カテゴリ:作品レビュー(外国映画)
「プロデューサーズ」の中でマックスとレオが
目標実現の為に何故、「春の日のヒトラー」を 選んだかというと、それは脚本の出来が悪かった わけではないはずだ。 彼らが注目したのは、あくまでもその内容。 ヒトラーを無邪気な人間として彼とナチを讃えた という点にこそ注目したのではないか。 ショウをコケさせるには、不出来な作品以上に あらゆる観客を敵にまわし、不出来ではなく不評 を浴びることこそが大事なはずだ。 あらゆる人々(アメリカの場合は更にあらゆる 人種)、あらゆる考え方の人々に汚らわしいと 思われる必要があったはず。 その為に「ヒトラーとナチへの礼賛、というより 無批判で無邪気な姿勢」が必要で、それが描かれ ている作品として「春の日のヒトラー」が選ばれ たのではなかろうか。 その意味では、この映画における「春の日のヒト ラー」をどのように見るかは、その社会の健全性 が問われることになるのではないか。 もし、この「プロデューサーズ」を日本版で製作 した場合、「春の日のヒトラー」の代わりに 「春の日のヒロヒト」や「素晴らしき冬の南京」 を設定したら、どうなのであろうか? (「素晴らしき冬の南京」とは、南京陥落が12月13日 という冬であることからのネーミング) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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