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テーマ:映画から何かがはじまる(570)
カテゴリ:実録・連合赤軍
映画「実録・連合赤軍あさま山荘への道程」のエピローグでは
あさま山荘事件後の赤軍兵士たちのその後が字幕と共に語られ る。それは2001年の重信房子の日本赤軍解散まで語られるが、 ここには赤軍を中心とした動きしかない。 世間では「連合赤軍事件」と呼ばれながらあれだけの衝撃と影響 を与えながら、その後、これらへの言及や動きは全くない。 私は、この映画のエピローグを見ながら、そこに日本社会の不健 全さを強く感じた。それは、連合赤軍事件、いやあの全共闘運動 自体もまるでなかったかのようにふるまう人々とその時代の空気 である。もちろん、私もその一人である。 「勇気がなかった」のは、連合赤軍の若者たちだけではなく、日本 のすべての人々である。 まるであの事件などなかったかのような70年代後半以降の日本とい う社会の不健全さ・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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