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カテゴリ:インドネシア的家族生活
あの人はどうしているだろう・・・
そんな風に突然思い出すことがありますよね。 長女サンは年長さん。運動会で成長したわが子の姿を見て感無量な親バカです。 運動会が終わったとき、ふと思い出しました。ある人のことを。 その人にもサンと同じ年の子がいるはずです。 旦那がインドネシアから日本に来たのは、サンが生まれた翌月でした。 職安で就職先を探し始め、ある会社に面接が決まりました。 旦那はまだ日本語うまくなかったので、私も面接に付き添いました。 面接が終わり、面接官がこの会社で働いているという、インドネシア人を紹介してくれました。インドネシア人で、しかも旦那と同じジャワ人の男性でした。(インドネシアにはたくさんの民族がいます) 旦那は彼とうれしそうにジャワ語で話し込みました。 私は帰り際に「Mari Pak」(じゃ、失礼します)と一言いっただけ。 旦那はこの会社で働くことになりました。 日本で出会うインドネシア人はだいたい2種類です。ひとつは日本人と結婚して日本にいる人。もうひとつは研修生。 しかし彼はそのどちらでもありませんでした。 彼の子供は小児がんをわずらっており、その治療のために日本に来ていたのです。 日本政府かどこかの財団かの援助で子供の治療費はすべて無料だそうですが、親の滞在費は出ません。 だから彼は自分と家族のために働いていたのです。 彼と奥さんの間には日本で生まれた赤ちゃんがいました。うちの長女とほとんど同じ頃の生まれのはずです。 旦那が一度彼のうちに遊びに行きました。 風呂のない古いアパートで旦那は驚いたようです。 小児がんの長男(10歳くらい)も病院から帰ってきていて、薬の副作用でしょう髪の毛がまったくなかったそうです。 旦那が入社して、約1ヶ月後、彼とその家族はインドネシアへ帰ることになりました。 理由は、長男の最期を母国で迎えさせるため。 1~2ヶ月たった頃でしょうか、旦那の元へ彼から電話があって、長男が亡くなったことやインドネシアでの生活のことなどを話したそうです。 それ以来連絡は途絶えていますが、今、大きくなったサンを見てふと思い出しました。 生まれて間もなかった下の子もサンと同じ5歳になってるはず。彼とその家族は今頃どうしているのだろうかと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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