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《櫻井ジャーナル》

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2011.04.15
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 ハーグの国際法廷でふたりのクロアチア軍幹部に有罪判決が言い渡された。1990年代、ユーゴスラビアが解体される過程で、虐殺を含むセルビア人に対する「戦争犯罪」があったと判断されたのである。

 当時、ユーゴスラビアは内戦状態になっていた。まず、1991年6月にスロベニアとクロアチアが、また9月にはマケドニア、翌年の3月にはボスニア・ヘルツェゴビナが相次いで独立を宣言、4月にはセルビア・モンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成している。このユーゴスラビア連邦共和国から独立し、アルバニアと合体しようとしたのがコソボのアルバニア系住民。この分離派を「西側」は支援、NATO軍の軍事介入につながった。

 この内乱では、イギリスの情報機関MI6(SIS)がセルビア側の指導者、スロボダン・ミロセビッチの暗殺を1992年に計画している。セルビアの反体制ゲリラを使うか、イギリスの特殊部隊SASに暗殺させるか、自動車事故に見せかけて殺害するか、そうしたシナリオを検討したというのだが、結局暗殺は実行されず、1993年3月のNATO軍によるユーゴスラビア攻撃が始まった。

 この内乱で「西側」はセルビアの「人道的犯罪」を強く非難していたが、その背後にはイスラエル系ロビー団体、HRWなる「人権擁護団体」、メディア、そしてPR会社が存在していた。イラクがクウェートへ軍事侵攻したときと同じで、このチームはセルビアによる残虐な行為を世界に発信したのだが、そこにはふたつの問題があった。宣伝された事件が捏造されたものであり、セルビア側の犠牲は問題にされなかったということである。(拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』で触れている。)

 問題の根を探っていくと、少なくとも第2次世界大戦までさかのぼることができる。クロアチアの反セルビア勢力は「ウスタシャ」と呼ばれた民族主義者の流れをくんでいるのだが、このグループはナチスと協力関係にあり、大戦中に大規模な虐殺事件を起こしている。

 犠牲になったのはセルビア人のほか、イスラム教徒、ユダヤ教徒、そしてロマたちで、射殺されるだけでなく、絞め殺されたり、溺れ死にさせられたり、焼き殺されたり、刺し殺されている。中にはセルビア人の眼球や臓器をコレクションしている者もいたと言われている。

 ちなみに、独立後のコソボでは武器、麻薬、そして臓器の密売が横行しているのだが、こうした取り引きで稼いでいる犯罪グループのトップがハシム・サチ首相だとする報告書を欧州会議が発表、臓器密売ではイスラエルとの関係も浮上している。

 また、1995年8月にクロアチア軍は「民族浄化」を目的として「嵐作戦」を実行、セルビア側を4日以上に渡って攻撃し、約10万人のセルビア人を追い出している。この軍事作戦はハーグの法廷で審理されたのだが、途中でアメリカの民間軍事会社MPRIの人間が登場、責任は問われないまま終わった。MPRIの人間とは、アメリカ軍の退役将軍だ。

 要するに、「西側」の諸国が「人道」を持ち出したときには注意しなければならないということ。勿論、人権を守ることは大切なのだが、それを侵略や虐殺を正当化する口実に使うことが珍しくないのである。リビアへの軍事介入でもそうした側面がある。

 このリビアでの内乱について、「西側」のメディアはチュニジアやエジプトと同列に報道、「人道」を前面に出しているのだが、これには疑問がある。リビアの場合、民衆の民主化要求というより権力抗争という側面が強く、しかも反政府派にはアルカイダ系のグループが参加している。

 そういえば、原子力に関しての「安全報道」は「みんなウソだったんだね」と歌われている。原子力だけの話ではないだろう。





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最終更新日  2011.04.16 01:39:34



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