「キャバ嬢」の勲章を得た太田氏、「エリート」のレッテルを貼られた齋藤氏
衆院千葉7区の補選で当選した民主党の太田和美氏(26)に元キャバクラ嬢、高校生時補導歴の話題が持ち上がったのは数日前。太田氏はこれをあっさり認めたばかりか、陣営は「地べたからはい上がってきた強い女性」と開き直りとも受け取れる回答。確かに、接客業は世間に認められたお仕事だし、高校生の時の補導歴は、しっかり反省したのならもういいだろう。ところがおかしなことが起こり始めた。これが追い風となって、補選は「元通産省→埼玉県副知事の齋藤氏」vs「元キャバ嬢→実業家の太田氏」という構造になった。つまり絵に描いたような「エリート対庶民」である。太田和美氏の勝利にマスコミは「庶民の勝利」「エリートをキャバ嬢が打ち負かした」と大合唱である。いうまでもなく、マスコミは視聴率を取ること、記事を売ることが商売の人たちである。そういった営利活動のためには社会正義や真実の追求、健全な世論形成などを踏みにじることもある。この構図の背景にはマスコミ報道を誘導した影の存在すら疑ってしまう。太田氏は若いし、政治家としての経験も、行政者としての経験もないが、それはこれからの彼女の活動いかんで判断すればいいことだから、ここでは問題にしない。私が疑問に思えて仕方ないのは「なぜ立派な経歴が悪いかのように言われるのか?」この一点である。齋藤氏がエリート(選ばれし人物)かというとそれは違う。齋藤氏は東京大学、旧・通産省、行政改革推進事務局企画官などを歴任。もともと、歴史好きが昂じて、激務の間を縫って完成させた力作「転落の歴史に何を見るか」が一般読者のみでなく歴史専門家からも高い評価を受け一躍注目される。この本で、齋藤氏は明治維新~太平洋戦争にかけての日本の没落について、現在日本の孕む問題を、見事に分析、指摘している。それらの公私にわたる手腕が上田埼玉県知事の目にとまり、経産省から異例の副知事抜擢。副知事時代は、もともと文官畑の人間にもかかわらず、医療福祉にも注力し、アレルギー関係NPO法人からの陳情を県としての活動に発展させる。齋藤氏は執筆活動、経産省、副知事としての実績を買われて、今回千葉補選に出馬打診を受けた人物である。太田氏の同胞である民主党・田島要氏もあいにく敵方となった旧知の齋藤氏を高く評価している。皮肉なことに、今回の選挙前に書かれた田島氏のブログでは「齋藤さんには、千葉方面にも目を向けて欲しかった」と暗に齋藤氏の千葉選挙区出馬を望む記述がある。きっと民主党千葉支部のナンバー3である田島要氏としては、太田氏ではなく齋藤氏に民主党から出馬して欲しかったのであろう。更に言えば、齋藤氏は単に東大出身の元官僚というだけではない。小さな家電店の中流家庭の生まれ。小さい頃はおとなしい子供で神童と騒がれるようなこともなく、目立たないがこつこつと努力して地元の進学校へ入学。さらに努力をして東大に入り、留学、旧・通産省入り。その後も努力精進を怠らず、誠実な性格と真摯に仕事に臨む態度、そして抜きんでた才を顕し、省内でも確実に評価を上げる。上田知事をはじめ、政財界人、歴史研究家なども含め各分野で認められた人物である。その手腕は「一役人にしておくのはあまり惜しい」と上田埼玉県知事が評したほど。会社社長の裕福な家庭に生まれ、学業そっちのけで警察に補導されるほど遊びまわり、天真爛漫に生きてきた太田氏とは真逆のスタート、まるで違った歩みである。はたして齋藤氏のような人間を地べたから実力で這い上がってきた人間というのではないか?今、千葉の人々が、日本や地元が抱えている問題を鑑み、熟慮の末、太田氏を選んだというのであればそれはいいことだ。しかし、齋藤氏は現在にいたった努力や実績、なにより政治家としての期待される実力を評価されることなく「エリート」のなにかいかがわしい響きのレッテルを貼られていないか?太田氏は、その経歴から、努力や実績、政治家としての実力を評価されることなく「庶民派」の親しみやすくまぶしい肩書きを得なかったか?そして、有権者は「エリート」のレッテル、「キャバ嬢」の肩書きに、冷静な判断をゆがめられなかったか?・・・・もっと言えば「東大、官僚、副知事」という齋藤氏の経歴を妬み、太田氏は女性だから、元キャバ嬢だから、時にはちょっとした悪さもした庶民だから…という感情で投票したりしていなかったか?太田氏の理想としては良いが、少しも現実味を感じられない勝利コメント。(この点は自民党のS村議員と酷似していて、非常に心配である)「おめでとう!キャバ嬢だってやれるんだ!」という業界からの歓迎コメント。そして、それを「小沢勝利!民主党復活の兆し!」と騒ぎ立てるマスコミ。雑音はともかく、国会で問題なのは氏でも素性でもない。その人が東大卒か元キャバ嬢かではない。仮に齋藤氏が元売れっ子ホストで、太田氏がお茶大卒の才媛でも同じだ。有権者が見るべきは、ただひとつ、政治家としての実力。民主支持のため、太田氏の資質に疑問を持ちつつ投票した人は考え直すべきだ。おおよそ、コネ議員やマスコミ受けする議員を実力に関係なく支持した場合は、議員そのものはばっさり切り捨てる。(これは、自民党のホリエモン推薦騒動でも同じである)そうしなければ、選挙のための政党構成を招くことにより、実力者は一握り。「●●チルドレン」のように独裁政党を作り上げることになり、合議制が失われる。石原都知事が国会を去ったとき「議論がなくなったから」と理由を述べたが、これは国会の議論のことではなく、与党・自民党の中での議論のことだと後述している。党内で議論のない政党・・・そもそも議論などできないような議員で固められた政党など、緊急の課題を抱えるこの国には必要ない!・・・と国民が投票権をもって命じるのも選挙ではないだろうか?いろいろな雑音を払いのけ、または考察し、この人達が日本のために何をしてくれそうか?できそうか?このことだけを考え、白票に名前を書くように心がけたいものである。転落の歴史に何を見るか斉藤健 \680(送料無料)■一九〇五年の奉天会戦から一九三九年のノモンハン事件に至る三四年間は、国家改造計画から共産主義思想まで、日本が内発的な改革に呻吟した時代だった。しかし結局、軍部の専制を防げず、敗戦という悲しみと汚名の結末を迎えることになる。自己改革が失敗に終わった原因はどこにあったのだろうか。