「ライブドア堀江社長のM&Aセミナーに出席」
ライブドアを相手取った株主訴訟が始まった。株の売買は自己責任で行われるべきものであるが、粉飾決済という企業ぐるみの詐欺行為によって発生した損失を「自己責任」の範疇に含めることができるのか?日本の司法レベル、市場経済に大きな影響を与える裁判として、いかなる結果であっても、今後重要判例となる裁判になるであろう。私はライブドア株主に同情するが、この裁判が株主の全面勝訴となるかについては疑問視している。本件が全面勝訴となれば、いわゆるリコール隠し、不良品隠しなどの悪質行為はもちろん、無謀な事業展開の失敗などによる株価の暴落(株主損失)の責任も、裁判で争われるようになるであろう。すなわち、本件裁判の勝利は企業倫理・コンプライアンスの向上にはつながるだろうが、日本における民事裁判の件数、難易度を飛躍的に上げてしまう。日本の裁判所は、そのような判例を嫌う。ところで、ライブドアの株主がいかにライブドア社にバカにされて来たかを示すブログ記事を見つけた。記事は、ライブドアとフジテレビ・ニッポン放送が激闘の最中にあった時期に書かれたもののようだ。ライブドア社は右肩上がりの成長期にも無配当を当然とし、資本の拡大を「株主の利益」という隠れ蓑に包んで、分割による膨張を繰り返してきた実態が分かる記事である。残念ながら、ブログが閉鎖状態にありブロ主に連絡がとれないため、ブログを特定できない範囲で記事を抜粋する。話題のホリエモンのM&Aセミナーに出席。会社からの出役扱いでヒルズに向かう。会場にはTBS等のテレビ局が詰め掛けていたが、講演開始後10分くらいでライブドアの社員から追い出される。(中略)それにしても、ホリエモンの話は、一貫して合理的且つ現実的、そしてほぼ本音を話しているように感じた。企業の中では、歴史のある安定した大企業はそうでしょうが、(中略)そのような過去の経緯や他人のメンツを配慮できる者こそが、「優秀な社員」と周りから認められる。他方、ホリエモンやライブドア社の社員は、「株主価値の向上」という1つの判断基準、つまりは資本主義の原則に忠実に従うというある意味、正しいゲームを実行している。株主から預かった資金の「利回り」が落ちるようなことはしないと堅く決めているようで、株主利益に反することであれば、他人のメンツも過去の経緯も関係ない、との強い信念があるようだ。(中略)ところがホリエモンのように「企業は株主のものです」と当然のことを言われると多くの日本人は、「企業は自分達のものじゃなかったの?自分の心の拠所はどこへ?」と不安になるのでしょう。もちろん、企業という共同体の中で苦節40年生きてきた年配の方にとっては、あたかも自分が大切にしていた価値観を壊されるようで不快なのかもしれません。ホリエモンが仮に包囲されバッシングされ、その結果、ライブドア社の事業運営に支障が出るような世の中の動きが強まったとしたら、本当に日経平均が下がるかもしれません。常に株主をバカにしつづけ、自分が膨れ上がることのみを考えてきた超利己主義者は、このとき「株主の味方」として映っていた。100分割という非常識な手法による株価釣り上げ。ライブドア株主であるボク(堀江氏)は配当で税金を払いたくないから、株主みんなも無配当でがまんしてよ!と言い放つ。挙句の果てに、無配当の合理的理由を求める株主に、合理的な企業プランを説明する代わりに、社長自ら総会で大泣きのウソ演技。なんのことはない、「会社は株主のもの」という大原則を踏みにじっていたのは堀江氏に他ならなかったのだ。いや、彼は「ボクが株を持っている会社はボクのもの」と信じて切っていたことは間違いない。ただし、「ボクの会社はボクのもの。うちの株主は資本価値を上げてくれるカモ」と思っていたのも確かだ。だから、配当は出さず、リスキーな企業活動もでき、非常識な株分割も違法な粉飾決済もできる。堀江氏は、2005年の忘年会で、「おじいさんの古時計」を替え歌にして「おお~きく育ったライブドア 時価総額8000億~♪」と歌った。彼がライブドア社を株主のものと思っていたかどうか?このような歌詞を上機嫌に歌う堀江氏の笑顔が、如実に表していると考えてよいだろう。多大な損失を蒙ったライブドア株主を、投資ブームに安易に乗った軽率な人々として見る向きも多い。噂としてはかなり有名だった経理操作を追求することなく、総会を通してしまったのは、自己責任だという人すらいる。が、おそらくライブドア社はこうやってメディアや講演会を巧みに使ってイメージ戦略を繰り返し、投資家をだまし続けてきたのであろう。人を欺いて財物を交付させること刑法第246条「詐欺罪」の定義である。