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昨日、昨年より布教師として活躍し始めた八王子の後輩が、山口まで巡教にやって来ました。 一日一ヶ寺ずつ30日までの2週間、各寺法要の合間に45分程度、法話をして巡ります。 うちのお寺では、お説教はありませんが、マルに会いたい?ということで、山口到着早々に立ち寄っていただきました。 (そのマルは、ちょっと彼のことを忘れた様子?) ちょうど夜に坐禅会があることを伝えると、是非に参加したいとのこと。 じゃあ、坐禅会の時、法話をして欲しいとお願いしたところ、引き受けてくれました。 昨夜の坐禅会参加者は、私たちを除いて5名。 お寺の檀家さんは、誰一人いません。 坐禅後、「いのち」をテーマに40分ほどのお説教。 一生懸命に話すので、こちらも一生懸命に聴きました。 終わって、お茶を飲みながらの座談会。 かつて近くの道場の坐禅会にも通っていた県庁職員さんより、「今春より全く今まで経験したことのない部署に替わったが、部下には、まるで全てをよく知っているようにして指示を出さないといけない」といった話を皮切りに、様々な講評が飛び出しました。 彼には法話後まで黙っていましたが、近所の浄土真宗僧侶も、坐禅会に初参加。 暫く黙ってやりとりを聴いた後、腹の底から響く野太い声で、ストンと核心を突くように「ことばがまだ自分のものになっていない!」 京大で物理学を専攻していた方から「いのち」の定義があやふやだということで、細胞のDNAにまで話が至り、ちょっと困ったような様子のワンショット。 年若くして、いきなり40分指定の法話をこなした後輩もなかなかですが、的確に意見する方々も流石。 ちなみに私は、法話が全く不得手。 それでも、こころを尽くして、不説の一句で良いじゃないかと開き直っていますが・・・ 最後に出口で、何人かの禅宗師家と親交のある方が、「禅宗のお坊さんは、落語家のようにすらすらと上手に話すよりは、訥々と喋っているぐらいが丁度良い」と、彼に声を掛けていました。 きっと、すっきりシンプル透明さを増して、心に響かせることが出来る布教師になると、確信しています。 ふと思い立って、つい先ほどまで映画館で「英国王のスピーチ」を鑑賞。 昨夜の流れから、ああ、これだこれだと、一生懸命で、嘘をつけない心からの言葉の大切さを改めて実感。 明日から、暫く彼の助手を務めさせていただく間に、宿泊先近くにある映画館へ行くよう勧めてみようかと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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