朝日新聞出版、マンガ日本史「行基」。
「日本」と呼ばれて間もない頃誕生した美しい都、奈良の平城京。
農民たちの苦しみをよそに優雅な生活に酔う貴族の都。
そんな世に現れた救世主、人身を救い、人心を導く高僧・行基。
行基は、布教活動だけでなく、橋を架けたり、大雨のときに洪水が出ないよう新しい溝と池を作ったり、また田畑に水を引くための貯水池を作って作物を育てる手助けをしたり、そのほかいろいろな土木事業によって人々を救いました。
この時代、土木事業を行った僧は行基だけでなかったようで、僧は土木工事のエキスパートだったようです。
しかし、この時代は、僧の活動が制限されていたので、行基の活動は違法行為とされ弾圧されました。
ですが、行基は弾圧にもひるまず、活動を続け、そんな行基を人々は慕い、話を聞くために集まり、中には村が空っぽになる所もあったと、『続日本記』に記されているそうです。
そんな行基の人気を朝廷も無視できなくなり、次第に弾圧は緩められ、そして、ついに行基の人気に目を付けた聖武天皇は、大仏建立の資金集め(勧進)を依頼するのです。
行基はこれを引き受け、その成果が認められ、僧の中で最も位の高い「大僧正」を任命されます。
が、それから4年後、行基は完成した大仏の姿を見ることなく、82歳の生涯を閉じます。
※律令制度が厳しく、一般庶民は税で苦しめられた奈良時代ですが、61歳以上は税の一部が免除されたり、80歳を過ぎると、ナント、身の回りを世話をするヘルパー役の人をつけたりして、福祉は意外に整えられていたようです。。
国でヘルパー派遣したりしてくれるなんて、なかなかですね。