朝日新聞出版、マンガ日本史「阿倍仲麻呂」。
阿部氏は、古くから政治の実力者を出した有力貴族。
その中でも、阿倍仲麻呂は、とくに頭脳明晰、成績優秀で、弱冠20歳にして唐の留学生に選ばれました。
唐に渡ってからも、その優秀さを発揮して、ナント、超難関の科挙(役人登用試験)に、外国人ながら合格。
科挙は世界で最も難しい試験といわれていたのです。
何十年もかけて受験する人もいる中、阿倍仲麻呂は、若くして合格したのでした。
唐の官僚となり、順調に出世します。
そして、当時の皇帝であった玄宗にも認められ、高官になっていきます。
※まだ楊貴妃に溺れていない頃の「賢帝」と言われた玄宗の全盛期だったようです。
第9次遣唐使で唐に来た阿倍仲麻呂でしたが、16年後に派遣された第10次遣唐使では、一緒に来た仲間たちはほとんど帰国しました。
しかし、唐の官僚であった阿倍仲麻呂には、帰国は許されなかったのでした。
さらに19年後の第12次遣唐使の時には、エリート官僚の座を捨てても帰国したいと願い、「唐の官僚が日本を訪問する」という形でならよいという条件で帰国が許されたのでした。
ところが、乗船した船が安南(ベトナム)まで流され、帰国はできませんでした。
日本へは帰国できないまま、73歳で唐の長安で高級官僚としての生涯を閉じます。
あまの原 ふりさけ見れば 春日なる
三笠の山に いでし月かも
唐を去る時に、日本に帰れると思って詠んだ歌だそうです。
唐で出世しても、やはり、故国である日本には帰りたかったのでしょうね。