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朝日新聞出版、マンガ日本史「鑑真」。
奈良時代になると、律令制度のもとで管理された庶民の生活は、厳しい税金や労働に苦しめられ、他の土地に逃亡して税を逃れるものが出てきました。
中には、税を逃れるために修行もせず勝手に僧や尼になる者も現れ、仏教界は乱れていきました。
この状況を改善するため、朝廷は唐から受戒ができる僧を招き、唐と同じ受戒制度を設け、勝手に僧になれない仕組みをを作ろうとしました。
その命を受けた留学僧は、10年の歳月を費やして、唐の高僧、鑑真を連れ帰りました。
しかし、鑑真を日本に連れてくるのは、大変困難な道のりでした。
鑑真は、唐で4万人もの人に受戒を行ったスーパー僧侶。
来日は、唐の朝廷が許しません。
そのため、1、3、4回目の渡航は密告されて失敗。
2回目は船が難破して失敗。
5回目は、漂流して、はるか南に流され失敗。そこから、帰国の長旅で鑑真は失明してしまいます。
そして、ようやく6回目。遣唐副使であった大伴古麻呂が、自分の船に密航させて、ようやく日本に。
苦労して来日した鑑真は、日本の仏教界に大きく貢献しました。
そして、仏教だけでなく、彫刻技術や薬学などももたらしたのです。
鑑真は、日本の発展に大きく貢献した後、官職を辞し野に下り、唐招提寺で晩年を過ごし、76歳で没します。
宿坊で西を向いて亡くなったそうですが、その遺体は死後3日経っても、なお体温を保ったままで、しばらく亡骸を葬ることができなかったとか。
そして、その遺体を火葬した時には、辺り一帯になんともいえぬ芳香がただよったそうです。