朝日新聞出版、マンガ日本史「空海」。
都を奈良の平城京から、山城国(京都府)に移し、平安京を開いた桓武天皇は、それまでの寺院の平安京への移転を認めず、新しい世の中にふさわしい仏教を求めました。
そんな時代に登場したのが空海(弘法大師)です。
空海は、31歳で留学僧として、遣唐使船に乗船し、唐へ向かいますが、暴風雨に遭い、1ヶ月も海を漂流して、ようやく唐に辿り着きます。
唐の寺院をめぐり、密教の第一人者である青竜寺の恵果の出会い、その教えをわずか数か月で習得。
その後、膨大な書籍や仏教道具、仏像や経典を集め、唐の最新医学や工芸・土木技術も学び、わずか2年で帰国。
また、日本では中国語を勉強し、唐に渡った時には、通訳なしで現地の人と話せたそうですし、さらに梵語という密教で使われる言葉も勉強し、わずか2ヶ月で師匠の恵果の弟子の誰よりもうまかったそうです。
どんだけ、頭がいいんでしょ。
帰国後は、仏教者で、土木技師で、教育者でもありと、スーパーな活躍。
日本で真言宗を開き、唐の密教の考えに基づき、空海ならではの解釈も加え体系化。
高野山を真言密教の修行の場とし、高野山全体に曼荼羅の世界を作ろうとしました。
香川県の満濃池は、空海が修復したそうですが、今も空海の工夫がいかされ、農業ため池として人々の暮らしを支えているそうです。
そして、教育者としては、貴族しか満足に教育を受けられなかった時代に、身分を問わずに庶民にも開放した「綜芸種智院」という教育機関を設立。
京都の夏の風物詩、「大文字焼き」も、空海が当時流行っていた疫病を静めるための護摩焚きだったそう。
ミカンも、日本に持ち帰り、京都の乙訓寺に植え栽培したのも空海だそうです。
実は「讃岐うどん」も?唐で小麦を使って麺ををつくる技術を学び、空海の故郷の讃岐国で小麦を栽培し、それを使ってめんを作ったのが始まり?
本当に日本の発展に様々な貢献をしたのですね。