朝日新聞出版、マンガ日本史「ザビエル」。
16世紀半ば、ヨーロッパの国々では、開拓者たちが大海原へと船を進め、世界の海を切り開いていきました。
世界が大航海時代を迎えていた頃、日本は争いの絶えない戦国時代。
しかし、そんな日本にも開拓者たちは船を進め、新しい文化をもたらしました。
海を越える人々の中には、世界中にキリスト教を伝えるという使命を受けた宣教師もいました。
フランシスコ・ザビエルも、そんな一人で、アジアの各地に赴き、布教活動を行っていました。
そして、マラッカで一人の日本人と出会うのです。
鹿児島出身の日本人、ヤジローでした。
ザビエルは、ヤジローの旺盛な知識欲に驚き、興味を持ち、来日を決めたのでした。
そして、ヤジローは、通訳として、ザビエルの日本への渡航と、日本での布教活動を助け、キリスト教の日本伝来に貢献するのです。
1549年8月15日に鹿児島に上陸。
日本での布教活動に専念しましたが、天皇や将軍に謁見の機会は得られず、2年後、中国へ向かいます。
そして中国南部の上川島で、熱病にかかり、46歳という若さで亡くなります。
ローマカトリック教会では、ザビエルの死後、布教に命を捧げたザビエルの功績をたたえ、「聖人」の称号を与えました。
聖人ザビエルには、やはり聖人らしいエピソードがあります。
中国で亡くなり、一旦埋葬されたのですが、3ヶ月後に移送のため掘り起こしたところ、なんと遺体は腐らず、埋葬した時と同じ状態を保っていたそうです。
その後マラッカへ運ばれ保管されましたが、1年たっても遺体は腐らず、その後、ゴアのボン・ジェス教会に移され、現在もそこに安置されているそうです。
そして、この棺は、10年に一度公開されているそうです。