朝日新聞出版、マンガ日本史「上杉謙信」。
上杉謙信は、「義」を重んじる武将でした。
戦国大名が、領地の拡大、そして天下統一への野望を持ち戦う中、上杉謙信は、武将としての正義~室町幕府を再興し、乱世に苦しむ人々を救う~のために、自らを北天の守護神・毘沙門天の化身と称し、戦ったのです。
1530(享禄3)年、越後の守護代・長尾為景の子として生まれ、7歳で仏門に入りました。
兄・晴景が家督を相続すると、家臣の間に内乱が起こり、困った晴景は、謙信を寺から呼び戻します。
その時、謙信はまだ15歳でしたが、見事に内乱を鎮圧させます。
家臣の中には、家督を謙信にという者も現れ、1548(天分17)年に、家督を継ぎます。
その後、関東で起こった領土争いの際に、謙信を頼ってきた関東管領の上杉憲政から、上杉家と関東管領の職を相続。
武将として、着々とちからを付けて行った謙信ですが、仏教への信仰心は篤く、生涯妻をめとらなかったようで、ホントは、やはり、僧侶として生きたかったのでしょうね。
家臣の反対を押し切って領地を飛び出し、出家しようと高野山に向かったのですが、家臣に泣きつかれて、しぶしぶ越後に戻ったりしてます。
上杉謙信と言えば、やはり、武田信玄との戦い。
義を重んじる謙信の有名なエピソードが「敵に塩を送る」ですね。
信玄の甲斐の国が、隣国の今川氏によって経済封鎖され、塩が入手できずに困っていると、越後の商人に命じて、信玄のもと塩を届けさせます。
このような謙信は敵にも信頼され、宿敵武田信玄は、息子に「自分が亡きあとは謙信を頼れ」と遺言したそうです。
四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒
※49年の生涯を振り返ってみると、まるで夢のようなものだ。
この世の栄華は、まるで一杯の酒のようなものだ。
謙信の句。
酒どころ、越後の領主らしく、謙信は、ものすごい大酒飲みだったそうです。
愛用の「春日杯」は、直径10センチ、深さが6センチもあったとか。
また、馬上で飲む持ち手の長い盃も作られていたそうです。
ほんとに酒が好きだったのですね。
春日杯馬上杯