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朝日新聞出版、マンガ日本史「お江」。
お江、北近江の戦国大名であった浅井長政と、戦国一の美女と言われた織田信長の妹のお市の三女として生まれました。
姉は、豊臣秀吉の側室となった茶々と、近江国の名門武将であった京極高次の妻となったお初です。
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お江の生まれた1573(天正1)年、浅井家は、織田信長に滅ぼされ、父は切腹。
そして、その後、お市は、織田家の重臣である柴田勝家と再婚。
ですが、秀吉と対立を深めた柴田勝家は、賤ヶ岳で秀吉軍と戦い破れ、お市とともに自害。
両親を亡くした三姉妹は秀吉の保護を受けます。
お江は秀吉の命により、12歳で尾張国大野城主・佐治一成と結婚。
しかし、小牧・長久手の戦いで一成が織田信長の次男・織田信勝側についたため、戦いの後、離婚させられてしまいます。
そして、18歳の時に、秀吉の甥である羽柴秀勝に嫁ぎます。
しかし、秀勝は結婚後すぐに朝鮮出兵で出陣し、朝鮮の巨済島(コジュド)で病死してしまいます。
1595年、徳川家との関係を強化しておこうと、秀吉は、お江を徳川家康の嫡男・秀忠に嫁がせ、3度目の結婚をさせます。
この時代、女性は、政略結婚の道具ですね。
ひどいよなあ~と思います。
ですが、この後、徳川秀忠は、家康から将軍を引き継ぎ、お江は将軍の妻となります。
そして、お江の嫡男の家光は3代将軍。
さらに、お江の五女の和子は、後水尾天皇の中宮となり、和子の産んだ内親王は、明正天皇に。
お江は、将軍の母となり、また、天皇の祖母ともなったのです。