朝日新聞出版、マンガ日本史「服部半蔵」。
服部半蔵は、主君として生涯仕えた徳川家康と同じ1542(天文11)年に、三河国に生まれました。
父親の代からの家臣として、そして同じ年の仲間として、家康と半蔵は深い絆で結ばれていたようです。
皇居の半蔵門
服部家の屋敷が近くにあったので付いた名だということです。
服部半蔵と言えば、忍びの者~忍者のイメージが強いですが、忍者でも伊賀出身でもなく、「徳川十六神将」の一人であり、江戸幕府の創設に貢献した武将です。
伊賀と関わりがあったため~父親は伊賀の忍者だったらしい~、後に伊賀者を束ねる役に付き、忍者の長というイメージがあったようです。
槍の名手で、戦場では、数々の功績をあげ、「鬼の半蔵」と恐れられました。
なんと、3メートルもある槍を使いこなしたそうです。
しかし、やはり、その伊賀とのつながりは大きく、「神君伊賀越え」時には、半蔵は力を発揮します。
「本能寺の変」が起こり、家康も絶体絶命のピンチでした。
その時、半蔵は、伊賀の忍者に協力を求め、伊賀の忍者200人に、家康を護衛させて、険しい間道を抜けさせ、無事に三河城へ帰還させたのです。
※忍者一口メモ
忍者は、ふだん侍や農民、商人などとして普通に過ごしていたそうです。
※「子連れ狼」に出てくるような“草”かな。
ですが、スパイ活動ができるように、常に兵器や武器、技や術などを独自に編み出していたそうです。
いろいろな知識もあり、まさに頭脳技術集団だったのでしょうね。
動植物にも知識が深く、キズを治す薬から、暗殺用の毒薬、持ち運びしやすい食料まで作ることができたそうです。
飢渇丸
もち米、山芋などを練ってつくった空腹ををしのぐ丸薬。
1日3粒で疲れが取れるそうです。
水渇丸
くず粉、ハッカ、梅干しなどで作り、1日3粒食べていれば、45日間水がなくても行動できたそうです。
ものすごい技術ですね。
服部半蔵といえば、なんとなくこの人かなあ。