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朝日新聞出版、マンガ日本史「徳川家康」。
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徳川家康が生まれた頃の三河の国は、東の今川氏と西の織田氏に挟まれ、大変な時でした。
幼い家康は、家を守るために今川家に人質として送られることになりましたが、その途中で織田方の手の者に奪われ、織田氏の人質となってしまいました。
その後、今川氏と織田氏の間で人質の交換が行われ、家康は改めて今川氏の人質として暮らします。
なんともややこしい。
人質生活13年。
桶狭間の戦いで今川氏が織田氏に討たれると、家康はようやく独立できますが、今度は織田氏と同盟を結びます。
ここでも、苦労しますね。
息子の信康と正妻の築山殿を信長の怒りを解くために自害させねばならなかったり。
信長の死後は、後継者であった豊臣秀吉と競ったのですが、結局、秀吉に従い、また我慢の日々。
そして、秀吉の死後、ようやく天下取りにむけて動き出します。
すでに天下人としての力をつけていた家康は、関ヶ原の戦いで勝利し、ついに念願の天下人に。
実に待つこと60年。
江戸に国の中心を移した家康は、江戸城を築き、幕藩体制を整え、江戸の町づくりをし、その後260年にも及ぶ徳川政権の基礎を築いてゆくのです。
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江戸時代半ばには、江戸は、100万人の人口をもつ世界一の大都市になったのですね。
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さて、東京名物の佃煮ですが、江戸時代からだそう。
大阪の陣の時に、家康は摂津国の佃村の漁民たちから豊臣方の情報を得たそうです。
その後、江戸時代になり、佃村の漁民たちが江戸に移って来て広めた食べ物が「佃煮」だそうです。