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朝日新聞出版、マンガ日本史「徳川家光」。
1623(元和9)年、二代将軍・徳川秀忠の子・家光は、20歳で三代将軍の座に就きます。
江戸幕府が始まってわずか20年ほどです。
徳川の世が長く続くかどうかの正念場を迎えていました。
幼い頃、両親は弟の国松をかわいがり、家光を疎んでいたため、家臣からも軽んじらていましたが、大御所・徳川家康、そして乳母である春日局、子供のころから傍にいた家臣・堀田正盛、松平信綱などの引き立てのおかげで将軍の座に就くことができました。
父の秀忠が亡くなり、将軍として名実ともに実権を握った家光は、様々な諸制度をまとめあげ、徳川体制の基礎固めをしていくのです。
で、260年~すごいですね。
徳川家光は、ちょ~セレブでオタクな将軍だったそうです。
湯水のごとくにお金を使いまくったそうです。
自分が将軍になったことをアピールするため、30万人もの軍勢を引き連れ、京詣を行いました。
その際、京と江戸の町人に、10億円に相当する銀を配りました。
さらに、道中でたった数泊するだけのために、あちこちに城を築かせたそうです。
ですが、この頃の江戸幕府は、このくらいの出費では、ビクともしなかったそうです。
家光は、凝り性で、特に絵を描くことが得意だったそうです。
お抱え絵師である狩野探幽の手ほどき受け、いくつもの作品を残しているそうです。
そして、家光は、武術も好み、剣術の試合も頻繁に行わせていたようですが、自身も稽古に励み、柳生宗矩から腕前を評価され、免許皆伝を受けたそうです。
カッコイイですね。
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※大名行列一口メモ
「下に~、下に~」と言いながら大名行列が通り過ぎる時は、庶民は土下座をして…というシーンがよく時代劇に出てきますが。
この掛け声をかけて通るのは、徳川御三家(尾張家、紀伊家、水戸家)だけ。
あとの大名行列は土下座をしなくてもよかったそうです。
知らなかったなあ~。
また、大名行列の前を横切ると無礼打ちをしてよかったそうですが、出産に向かう産婆さんは、横切ってもかまわなかったそうです。
知らなかったなあ~。