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朝日新聞出版、マンガ日本史「紀伊国屋文左衛門」。
徳川5代将軍、綱吉の治世、元禄年間。
豪華寺院の建築ラッショが起こり、
産業や経済も絶好調の、華やかなバブル時代。
そんな時代に活躍したのは商人たち。
そして、一獲千金を夢見て、江戸で一旗揚げようと
吹きすさぶ大嵐の中、みかんを積んで、
紀伊の国の港から船出した青年、文平。
この時、まだ19歳。
後の紀伊国屋文左衛門です。
江戸で本格的に商売を始めた紀伊国屋文左衛門は、材木商として名をなします。
幕府に取り入り、御用商人として、寺院の建築に携わります。
上野寛永寺の中宮の建設では、50万両の儲けが出たとか。
現在のお金では500億円だそうです。
このように事業は巨利を生んで、
日常生活でも金銭をおしまず、吉原で豪遊したため
紀文大尽(だいじん)と呼ばれ、
それも資金の宣伝効果となって商売上の信用を高めました。
屋敷は、本八丁堀3丁目の町全体で、
客が来るたびに、畳を張り替えて、迎えていたそうなので、
ほとんど毎日のように畳替えをしていたそうです。
ですが、ミカン船で江戸に辿り着いてから、
わずか20年ほどで表舞台から姿を消します。
身上をつぶして落ちぶれたとも、
風流を楽しみながら、悠々自適に暮らしていたとも。
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