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朝日新聞出版、マンガ日本史「平賀源内」。
江戸時代に活躍した驚くべきマルチ人間。
本業は本草学者でしたが、科学者、エンジニア、陶芸家、宣伝マン、シナリオライター、プロデューサー、そして西洋画家?でもありました。
平賀源内は、1728(享保13)年、讃岐国・高松藩の下級武士の家に生まれます。
少年時代から、本草学や儒学を学び、書画を習い、詩歌や俳諧にも親しむなどの英才教育を受けました。
子供の頃から優秀だったのでしょうけれど、環境もよかったのですね。
父の没後、家を継ぎ、戦国時代の先祖にちなんで、平賀に改名。
~「太平記」にも出てくる護良親王に仕える忠臣だったそうです。~
本草学の知識を買われて、高松藩の薬草園の管理人になりますが、
その後、長崎に遊学して、多くの西洋文化の刺激を受け、
やがて江戸に出て、本草学者・田村元雄(藍水)の弟子になります。
そして、藍水とともに、日本初の物産会「東都薬品会」をプロデュース。
江戸時代の科学の発展に大きく貢献します。
エンジニアとして、有名なのは、エレキテル、静電気発電装置の復元ですが、
量程器の製作~日本初の万歩計~もやっています。
長崎で学んだ陶磁器製法を、故郷の陶工に伝授して、中国風の「源内焼」を作りました。
人形浄瑠璃の台本を書いて、「江戸浄瑠璃の開祖」とまで言われるほどのシナリオライターでもありました。
長崎で出会った西洋画の技法と理論を身につけ、西洋風の遠近法を使った油絵を発表。
そして、もう一つ有名なのが、知り合いのうなぎ屋さんのための作った
「本日土用丑の日」のキャッチコピー。
さらに、歯磨き粉「漱石香」を売るための宣伝チラシの製作、
そして、高価な香木を使った「源内櫛」を、売れっ子遊女に身につけさせてキャンペンガールに。
などなど、やり手の広告マンでもありました。
とんでもないマルチな才能の持ち主だったのですね。
しかし、これだけの才能が発揮できたのでも、意外と江戸時代という環境もよかったのかもしれませんね。
江戸時代は鎖国とはいえ、日本独自の科学技術が発展していたようです。
和算での円周率の求め方、からくり人形、のぞき眼鏡、
和時計、反射望遠鏡、顕微鏡、義歯(入れ歯)、自転車、
そして、飛行機~短距離とはいえ、飛行に成功しているそうです。~ 世界にひけをとらないハイテクな時代だったようです。