朝日新聞出版、マンガ日本史「大塩平八郎」。
江戸時代前半にもたらされた政治の安定と経済の発展も、
後半になると大きく揺らいできます。
農村では、厳しい年貢の取り立てに苦しむ農民による百姓一揆、
都市では、米の買い占めを行う商人の米蔵を襲う打ちこわしなどが増えてきました。
そこへ、たびたび襲う飢きん。
幕府は様々な改革を行うのですが、解決はできなかったのです。
それどころか、商人たちと結びついて、不正を行う役人も増えていきました。
大塩平八郎は、親の代から続く大阪東町奉行所の与力でした。
ことのほか不正を憎み、その撲滅に力を尽くしたのですが、
役人の不正も奉行所の上層部までは、裁くことができず、
38歳で、与力を辞します。
そして、与力の頃から自宅で開いていた私塾・洗心洞で門弟の指導に専念します。
しかし、天保の飢饉で民衆の苦しみを目の当たりにし、
それに対し奉行所は策を施すどころか。
大阪の米を江戸に回し、
幕府のご機嫌をとろうとしていいたことに怒り、
乱を計画します。
事前に計画がもれてしまい、
準備不十分のまま決起したので、
すぐに鎮圧されてしまいました。
が、幕府の元役人がおこした反乱という事で、
大塩平八郎は、庶民のヒーローになり、
幕府には、大きなショックを与えました。
大塩平八郎が決起時に作成した檄文は、
ひそかに知識人たちに書写され全国に流通し、
その檄文に共鳴するものも増え、大塩残党として決起するものも出てきました。
こういったことが、少しずつ幕府崩壊の引き金になっていったようです。