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朝日新聞出版、マンガ日本史「吉田松陰」。
吉田松陰は、1830(文政13)年、長州藩藩士、杉百合之助の次男として生まれました。
両親と三男四女、さらに父の弟たちに、母方の親戚が暮らす大所帯だったそうで、
武士とはいえ、農作業をしないと生活できない暮らしだったそうですが、
父が教育熱心で、畑仕事の合間に子供たちに勉強を教えているような愛情深い環境だったそうです。
5歳の時に、長州藩山鹿流兵学師範の吉田家の後継ぎとして養子に出されます。
そこで、厳しく兵学を叩き込まれ、
なんと、わずか11歳で、
藩校・明倫館の教授となり、長州藩の藩主毛利敬親に兵学の講義をするようになったそうです。
しかし、さらに見聞を広めたいと、藩に願い出て、日本各地を回ります。
そして、日本が世界に取り残されていると感じた松陰は、
文明の進んだ外国の知識を得ようと、ナント、密航を企て、ペリー艦隊の船に乗り込もうとします。
開国前の日本、
当然ながら、艦隊側に受け入れを拒否され、
長州に戻され、野山獄という牢に入れられてしまいます。
が獄中でも囚人たちに講義をし、
獄を出た後、自宅で「松下村塾」を開きます。
松下村塾は、24時間いつでもオープン、
月謝無料、身分も学力も問わず、
つまり、勉強をしたい人は誰でも入れたわけで、
実に、300人もの門下生を育てたのだそうです。
吉田松陰は、その後、江戸で死罪となってしまうのですが、
幕末、そして維新後に活躍する優秀な若者
~高杉晋作、伊藤博文、山形有朋などなど~
が、その意志を引き継いだのでした。
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