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朝日新聞出版、マンガ日本史「東郷平八郎」。
明治の日本は、ロシアの勢力拡大に対抗するために、
朝鮮への進出を考えており、
清に従っていた朝鮮を独立国だと主張。
清がこれに不満をもち、~当然ですが~、
日本との対立が激化して、ついに1894(明治27)年、日清戦争が勃発。
日本はこの戦争に圧倒的に勝利し、
朝鮮の独立を認めさせ、巨額の賠償金を手にしたほか~現在のお金では3億円ぐらいだそうですが~、
中国の遼東半島などの領有権を得たのです。
ところが、そこへ中国進出を狙うロシアが口出し。
ちっぽけな極東の国日本が大国中国を破ったことで、他の国も中国進出を狙い始めたらしい…。
ドイツ、フランスと組んで、日本に遼東半島の返還を迫ります。-三国干渉ー。
仕方なく、従った日本でしたが、
これをきっかけにロシアに対する反感が高まり、
ついに、1904(明治47)年、日露戦争が開戦。
大国ロシアになんて、勝てるはずがないのに…。
と今なら思うのですが、この時代は、勢いに乗っていたのか、勝ってしまうんですね。
ロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、日本を勝利に導いたのが、連合艦隊司令長官・東郷平八郎でした。
ロシアの艦隊をギリギリまでひきつけ、
そこで、回頭(船の向きをかえること)~特に東郷ターンと言われたそうですが~して、
丁字戦法に持ち込み、勝利したのです。
まさに神業東郷~と言う感じで、東郷平八郎は、神様のように崇拝されたそうですが、
海外でも、この活躍は驚きを持って広まり、
ロシアの進出に苦しんでいたトルコでは、この勝利に勇気づけられ、「トーゴー通り」なんてできたそうです。
そして、日本では、没後、東郷神社ができていますね。
東郷平八郎の指揮は素晴らしかったのですが、
実は、データーによると、かなりの勝算はあったらしいのです。
艦隊の総トン数や、戦艦の数は、圧倒的にロシアが多かったようですが、
中小の艦隊の数は、日本の方が多く所有していたそうです。
装甲巡洋艦は3倍、巡洋艦は2倍、駆逐艦は3倍、そして、水雷艇は、ロシアが〇なのに対し、日本は41隻も所有していました。
この小型艦隊が大打撃を与えたそうです。
火器にも差があり、砲門数は日本の方が倍以上も多く、
さらに、下瀬火薬なるすさまじい破壊力を持つ火薬が発明されていたそうです。
この戦闘で、東郷平八郎が乗船していたのは旗艦「三笠」。
日露戦争後は、記念艦として大切に保管されていたそうですが、
第2次世界大戦で日本が敗れたあとは、なんと娯楽施設に。
~ダンスホールや水族館になっていたそうです。~
現在は、横須賀市の「三笠公園」に置かれていて、内部が見学できる記念艦になっています。
随分前ですが、行ったことがあります。
なかなか興味深かったです。
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