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朝日新聞出版、マンガ日本史「高橋是清」。
日本が国際社会に出始めた明治から昭和、
日本経済がピンチになるたびに登場し、
経済を立て直したのが高橋是清。
1854(嘉永4)年、幕府お抱えの絵師の子として生まれましたが、
庶子(正妻の子ではない)であったために、
下級武士の高橋家に養子に出されました。
養祖母が、とても是清に愛情を注ぎ、
自分の衣食を切り詰め、内職をして、教育を受けさせてくれたそうです。
そのおかげで、14歳でアメリカに留学することができたのですが、
仲買人にだまされ、使用人として働かされ、勉強はできなかったそうです。
が、帰国後、アメリカ生活のおかげで、ネイティブな語学力があったので、
16歳で英語教師になります。
しかし、17歳で放蕩し、芸者の家に入りびたり、退職。
28歳は農商務省の役人に。
37歳でペルーでの銀山事業に失敗して無一文に。
忙しい人生ですね。
その後、日銀の総裁の招きで、日本銀行に就職。
たちまち手腕を発揮して、7年後には副総裁に。
日露戦争で、一千万ポンドという戦費のための資金調達を成功させ、
その後は政治家に。
大蔵大臣に就任すること7回。
日本が経済的な危機に見舞われるたびに就任し、日本経済を立て直しました。
4度目の就任の時~1927(昭和2)年~は、日本は金融恐慌に陥っていたのですが、
わずか44日間で事態を収拾し、辞任するなどという神業をやってのけるのです。
1934(昭和9)年、7度目の就任~すでに80歳を超えていましたが、
不景気の真っただ中にあった日本、
対応するため、軍事費の増大を抑えます。
このため、軍部と対立関係になり、
1936(昭和11)年2月26日に起きた「二・二六事件」の標的になり、7発もの銃弾を撃ち込まれ、暗殺されてしまいました。
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