朝日新聞出版、マンガ日本史「杉原千畝(すぎはらちうね)」。
杉原千畝は、日本のシンドラーと言われた人。
ナチスによるユダヤ人迫害が激化する中、
6千人ものユダヤ人を救ったのです。
ヨーロッパが第二次世界大戦の最中の1940年、
杉原千畝は、リトアニアの当時の首都、カナウスで日本領事館の領事代理を務めていました。
その日本領事館の門前にポーランドから逃げてきたユダヤ人が集まりました。
ユダヤ人たちは、ナチス・ドイツの手から逃れるために、
ソ連を通って日本に渡り、その後、アメリカ等の国に逃げようとしていたのです。
そのため、日本を通過するビザが必要なのでした。
ですが、当然ながら日本の外務省は許可しません。
ドイツと同盟を結んでいた日本は、ドイツとの関係悪化を恐れ、ナチスの横行は、傍観していたのです。
そこで、杉原は、領事の権限において、ビザを発行し始めました。
ピザは、申請者の氏名、領事のサインなど手書きします。
朝、軽く朝食を済ませると、昼食も取らずに夜遅くまで書き続けます。
そんな日が何日も続き、痛みで手が動かなくなりました。
それでも書き続けます。
領事館には、戦況悪化のため、ソ連政府から退去命令がでていました。
やむなく、領事館から退去させられてからも、ホテルに移り、ビザを書き続けました。
終戦後、日本に戻った杉原は、命令に背いたことで、外務省を辞職させられます。
1985(昭和60)年、
杉原は、イスラエル政府から、「諸国民の中の正義の人賞」を受賞します。
また、アメリカからも賞をいただいたそうです。
その授賞式には、多くのユダヤ人が参加し、杉原の発行した45年も前のビザを持っている人も多くいたそうです。
杉原はビザ発給のスピードを上げるため、途中から記録を付けるのを辞めたので、
正確な数はわからないそうですが、
6千人以上~のユダヤ人の命を救ったのだそうです。
日本人にも、こんな人がいたのですね。